毎朝、オフィスに着くと、まず新聞を読みます。読むというより、眺めるという感じでしょうか。たいていの場合、言い訳じみていますが、忙しいのでざっとした読み方になります。何より、新聞の読み方が変わったのは、iPhoneという昔では考えられない機械が出来たので、気になる部分を写真に写し、移動の時間や昼飯の時間にじっくり読むという「変則的」なやり方を覚えたからです。最近のカメラは解像度が半端ではないので、十分に画面上で文字が読めるのです。
数日前、朝新聞を眺めていたら、日経の下段の広告にある作家の新作が大々的に載っていました。
そこにはこんなキャプションが添えられていました。
「成長神話の呪縛を捨て、人間と国の新たな姿を示す画期的思想」
「登るのではなく、下山するのだ。その先にある新たなスタート地点を目指して」
そんな宣伝文句を読んでいるうちに、何やら腹が立ってきた。中身を読んだわけではなく、キャプションとタイトルを見ただけで腹が立った。作者は、五木寛之。本のタイトルは「下山の思想」。
日本は建前として自由主義国家ですから、表現の自由が認められています。だから、誰が何を言おうが、何を語ろうが自由です。しかしながら、かつて「青年は荒野を目指す」を書き上げた作家が、老いたりといえども、こういうタイトルの本を書いてはいけない。
昭和7年生まれのこの作家は79歳になります。東京都知事の石原慎太郎と同年同月同日生まれです。かつて、「さらばモスクワ愚連隊」で1966年に颯爽とデビューし、「蒼ざめた馬を見よ」で直木賞を受賞し、一躍時代の寵児となった人物です。「デラシネの旗 」や「四月の海賊たち」や「ソフィアの秋」など時代に深く切り込んだ作品を書いていた作家です。おそらく、作品の完成度は別にして、「戒厳令の夜」あたりまでは、まともだったでしょうか。エッセイに関しても、名作といっていい「深夜の自画像」などという印象に残る作品を残しています。その頃までその作家のすべての作品を読んでいたので、あえて言わせてもらえば
「五木さん、あんたが【下山】などと言ってはいけない!」
という気分でした。チャラチャラした「四季 奈津子」を書いてもいい。「雨の日は車を洗って」などという端にも棒にもかからない作品を書いてもいい。「親鸞」だってかまやしない。しかし、あんたが【下山】などというタイトルをつけた本を書いてはいけない。
「爺ぃ、耄碌(もうろく)したか!」
誤解がないように申し添えておきますが、中身を読んでいないので、作品をけなしているのではありません。タイトルとキャプションをけなしているのです。どう考えても、彼にはそぐわない、なおかつ付けてはならないタイトルに腹を立てています。
「・・・敗戦から見事に再生を果たした今こそ、実り多い明日への【下山】を思い描くべきではないか」
おいおい、後から山に登ろうとする「若者たち」はどうなるんだ。勝手に頂上を決め、そろそろ下山をしましょう、などとどの口で言えるんだ?他の誰かが言うならともかく「青年は荒野を目指す」を書いたあんたがそれを言ちゃいかんだろう・・・・。
タイトルの背後に「老人」の身勝手さが見えます。今現在、山を呻吟して登ろうとしている「世代」に対する責任も思いやりも、今という時代を作り上げた大人としての自覚のかけらもないキャプションです。もしこのキャプションを著者が許可したのだとしたら、あえてこう言わせてもらう。
「爺ぃ、うるせんだよ!」
登りかけた山なら、最後まで登りやがれ!後から続く「世代」のために、必死になって道を切り開くのが「老人」の務めじゃねぇか。若い連中のために、死ぬまで山を切り開き、ここまで切り開いたぞ!後は俺達を踏み越えて、更なる高みを目指せ!と叫ぶのが年寄りの務めじゃねぇのか。せめて、あんたくらいは、そう叫ばなきゃならんのじゃないか!
勝手に「下山」と言い出す、老作家にあきれました。おまけにその「下山」に「思想」などという大層な言葉をくっつける神経に腹が立つ。すでに、この作家も「老害」に犯されたか・・・。
何度も書きますが、誤解がないように申し添えておくと、中身を読んでいないので、作品をけなしているのではありません。タイトルとキャプションに腹を立てているのです。
そして、今日、新聞でこんな記事を見て、頭の中で何かが「ブチリッ」と音を立てました。
厚労省:13年度から65歳までの再雇用義務付け方針
厚生労働省は14日の労働政策審議会(厚労相の諮問機関)の部会で、13年度から希望者全員を65歳まで再雇用するよう企業に義務づける方針を明らかにした。厚生年金の支給開始年齢(60歳、報酬比例部分)は13年度に61歳へ引き上げられる一方、60歳の定年後、希望者全員を再雇用している企業は半数にも満たず、このままでは賃金も年金もない「空白期間」が生じるためだ。同省は来年の通常国会に高年齢者雇用安定法(高齢法)改正案を提出することを目指している。(毎日新聞)
おやおや、国家とやらは「若者の道」を閉ざす方向へ舵を切るらしい。年寄りが辞めなければ、若者は採用されない。つまり雇用の道を狭めるというのか。組織の平均年齢の高さが、生産性の悪化を発生させ、時代に合わない商品やサービスが蔓延していることに気付いていないのか。
選挙の票を一番持っている世代に迎合するにしろ、限度というものがありはしないか。こうした民間の企業のありようを「制度」で縛るおろかさを、官僚や政治家は果たしてどこまで認識しているのか。来るべき国家の姿や社会の風景を本当に思い描いているのかどうか・・・。
久しぶりに、本気で腹が立っています。
おーい、若者達!
「爪」を研げ!
腐った「爺ぃ」や「婆ぁ」を追い抜いていけ!
おーい、老人たち!
後から続く若者達のために「道」を切り開け!
そして、追い抜いて行く若者達にエールを送れ!
「俺達の背中を踏みつけて、もっと高い場所へ駆け上がれ!」
年寄りには、ある時期から「役割」があるはずです。それは、身勝手に「下山」することではなく、若者に道を譲らないことではないはずです。
今朝、新聞記事を読んで、はっきりと「自分の敵」が見えました。年寄りとして、誰に頼まれずとも、死ぬまで山を切り開き、若者達に「スペース」を作ってやる!
若者よ!
「爪」を砥いでおけ!
おっさんが、「爪」の使い方を教えちゃる!!
腐るんじゃねぇぞ!
明日は、愛知です。若者達のために、おっさん、気張ります!