1968年といえば、昭和43年のことで、私は「12歳」、小学校の6年生です。
その時代に、ある作家が「幕末の大阪」について語っている講演録があります。
~どうも商売は番頭はん、丁稚どんではたちゆかない。幕末になるとそんな雰囲気が大坂を覆います。豪商の鴻池はそれがよく分かっていたようですね。
従来なら帳づけを教えておけよかった。わずかな厘、毛まで数えられる技能を身につけさせ、商業の精神としては、節約をうるさく言えばよかった。
しかし外国相手の交渉では、それではだめだ、ということになった。
算盤ができなくても世界観を持った人間、政治が分かる人間が必要だと、鴻池は考えたのでしょう~
司馬遼太郎の「講演録」全5巻を読むのは、今年【3回目】になります。
立て続けに2回読んでも、違うところに「反応する」のですが、【3回目】にしてようやく、【本質に近い部分】が見えてくるようです。もう一回5巻を読み上げ、今年中に【4回目】を達成できれば、昔から歴史的に「疑問に思っていたこと」の解決の糸口がようやく見えそうな気がします。
「横須賀の友人に告ぐ!」
司馬遼太郎「街道を行く 42 【三浦半島記】(朝日文庫)是非読まれたし!武士の成り立ちと海軍の成り立ちがこれほど分かる本はない。(今度俺を鶴岡八幡宮へ連れてゆけ!!)