とじき雑感

38度の空の下

     

    残暑お見舞い 申し上げます

     

    帰省ラッシュを恐れて、随分と早く自宅のある宮崎を出ました。距離にして350Km 程ですから、普段なら車で3時間か3時間半で帰り着くのですが、数年前の帰省ラッシュに「7時間半」かかったことがあるのです。
    九州自動車道路の「八女」「広川」「久留米」「鳥栖」「筑紫野」というインターで、10Km や20Kmの渋滞が発生します。何しろ、「鳥栖ジャンクション」は、九州の高速道路の要です。東から「大分自動車道」、西から「長崎自動車道」が集まっているので、大分・佐賀・長崎の車が集中する。同時に、北から北九州方面の車が、南から鹿児島・宮崎・熊本の車が集中する。そうなると、とんでもない渋滞が発生して動けなくなってしまうのです。正午の「全国戦没者追悼会」の黙祷のサイレンを聞いてから出かけましたから、予定は3時半から4時半の間くらいです。とにかく「鳥栖ジャンクション」あたりを3時前には駆け抜けたい、というのが希望でした。

    車のナビの画面には、気温表示があって、これは結構正確なものです。出かけた時の気温は34度、熊本の標高の高い「人吉」あたりで31度くらいまで下がりましたが、それでも夏真っ盛りです。「人吉」から「八代」という九州西部側へ出ると、一気に気温が上がって36度、熊本に近づくと37度になりました。そして「熊本」を過ぎたところでなんと気温表示が【38度】!南国九州でも、珍しい気温でした。パーキングエリアでしばし空を見上げ、2012年の夏の確認をしました。

    ロンドン五輪では、金メダルの数こそ少なかったものの、「20数年ぶり」「40数年ぶり」「史上初」の快挙がありました。バレーボールで金メダル、サッカーで銅メダルなどを知らない世代からすれば、びっくりするような事かもしれません。

    人間は、おおむね60年間経験したことのないことは想像しにくいものです。ひと世代が80年近く生きたとして、子供時代の10年と歳を取ってからの10年を差し引けば、人が「時代」を認識できる期間は60年です。
    1945年(昭和20年)からすでに「67年」。すでに戦争の記憶は社会からほとんど消えてしまっています。「朝鮮半島」や「台湾」「樺太」が日本の領土であったことを実体験として知る人は少なく、帝国大学に京城帝国大学(朝鮮)と台北帝国大学(台湾)が入っていたことを知る人は多くありません。
    60年以上、海外や国内で戦火を交えたことのない国は、戦争など永遠に無縁のこととして考えてきたかもしれません。しかしながら、韓国とや中国と領有権を争い、現実として不法入国を発生させました。同時にロシアが、北方四島に「揚陸艦隊」を派遣することを昨日発表しました。漠然と「武力衝突」の時期はそんなに遠くないのではないか、などと感じています。

    2012年の夏は、様々な意味で「記憶」されるべき夏なのかもしれません。

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