生まれて初めて東北の冬を体験したのは、岩手県です。大阪から飛行機で「花巻空港」へ向かいました。冬には珍しく雲ひとつない強い日差しの下に広がる一面の銀世界を飛行機の窓から見下ろした時は、まさに息を呑みました。学生時代以外、南九州で過ごした身には生まれて初めて見る一面の銀世界でした。
しかし驚いたのは空港に降り立ち、実際に雪を見た時でした。雲ひとつなく、真夏と見紛うばかりの強い陽光の中で、雪が溶けないのです。旅行バックからサングラスを取り出してかけなければならないほどまぶしい日差しの中で、雪が溶けない。空を見上げ、雪を見ながら不思議な思いに駆られました。
九州の多くの地域では、「雪は溶けるもの」なのです。夜の間雪が降っても、陽が出れば「雪は溶ける」のです。その土地が東北で、気温がマイナス2度であることは頭で分かっているのだけれども、数十年染み付いた感覚のギャップはなかなか深く、納得がいきませんでした。もちろんその後山陰、北陸、北海道と冬の豪雪地帯を訪問するたびにその感覚は修正されましたが、それでも身に染み付いた「感覚」は容易には抜けません。
「雪は溶けるのか?積もるのか?・・・・・」
このように身に染み付いた「感覚」は「怖い」ものです。
先日、建設現場で使うH鋼を斜め積みしたトレーラーの後ろで車の運転をしました。先端と後端に赤い布をつけ、きちんとワイヤーで荷締めされた車でした。にもかかわらずH鋼の倍ほどの十分な車間距離をとりました。なぜならば以前、H鋼がはずれ後続車のフロントガラスを突き破り、後続車両の運転者の胸を貫き、即死させた中京地区で起こった事故を知っていたからです。ところが車間距離を十分取っていたため、横から入ってきた軽乗用車に割り込まれました。その軽乗用車はトレーラーにぴたりとくっつき、坂を上って行きます。路面は悪く、強い振動の中を人ごとながら心配をしながら付いて行きました。ワイヤーはめったなことでは切れません。丈夫なものです。しかし、時にワイヤーは容易に切れるものであることを元土建屋の私は知っています。その感覚からすれば、先行する軽乗用車が気になって仕方ありませんでした。
「ワイヤーは切れないのか?切れるのか?」
このように「知らないこと」はとても「怖い」ものです。
仕事をしていて「給料」は何故もらえるのでしょう。
「その企業に就職しているからもらえるのか?」
「会社に、8時から5時までいるからもらえるのか?」
「業務を仕上げるからもらえるのか?」
「業務で利益を出したからもらえるのか?」
「会社に利益をもたらしたからもらえるのか?」
さて、皆様の会社の社員さんはどのように答えるのでしょう?
「仕事がない!」
「利益が出ない!」
「社員の意識が低い!」
「部長が○○だ!」「社長が○○だ!」
たくさんの「身に染み付いた感覚」はありますが、一度俯瞰(ふかん)してみてはいかがでしょう。
時代変化の波は、多くの常識を覆しています。組織も個人もそうした大きな変化の中にいます。
昨日の常識は今日の誤解であり、今日の常識は明日の非常識です。
「雪は積もるのか?溶けるのか?・・・・」
2011年、春。個人と組織の存亡をかけてた「戦いの夏」がやってきます。