今夜は、愛媛県西条市です。
3.11以降の「エアポケット」に落ち込んだような【講演キャンセル】の反動が11月にやってきたようで、今月は、随分と各地を駆け回りました。各地を回ると、地域ごとの「温度差」や抱えている「課題」の違いが見えてきます。ある意味、貴重な1ヶ月でもありました。
今月は、多くの人達と出会い、その中で「東北」の実態も随分と耳にしました。産業構造の根底にある「安心」「安全」が揺らぐということがどれほどの影響を持つかということも考えさせられてしまいました。予期しない出来事が、個人の生き方や組織の有り様まで随分大きな動きを引き起こしています。
目の前の動きだけではなく、今一度奥底の動きにも目を配りたいと思います。
今年の10月のメルマガ「南風通信」にはこんなことを書いていました。
【目の前の「上」と「下」】
こんにちは。戸敷進一です。
先日、友人の娘さんの結婚式に出てきました。
友人や身内や社員の結婚式と違って、「新婦の父親の友人」という立場は、結婚式の中では非常に微妙です。式の開催に関して責任があるわけではなく、なおかつ結婚式の盛り上がりに合わせて、どんちゃん騒ぎをするわけにもいかず、ニコニコとして席に座っていなければなりません。
新郎新婦の友人たちの盛り上がりを見ながら、ふと「いつか来た道、いつか行く道」という言葉を思い出してしまいました。
社会には各世代には【役割】があって・・・。
当然「組織」の中でもそれぞれの【役割】があって、それを意識しておかないと、組織も個人もバランスを失うかもしれません。思いつく所があって、昨年からすでに亡くなったある作家の本をすべて読み返すという、少々無謀なことに挑戦しています。何しろ、小説や評論、エッセイ、講演集まで入れると、数百冊の著作のある人ですから、一年や二年では目的を果たせそうもありません。
その人が、「歴史」や「文明評論」を行うときに【形而上(けいじじょう)】【形而下(けいじか)】という言葉をよく使っていました。
例えば、「奈良・平安時代」という貴族と平民しかいなかったのっぺりとした時代から「鎌倉時代」という個性あふれる「武士」の時代への変化について、その人はこう語ります。
「一所懸命」という土地所有に命をかけるという所有という意識変化が、「リアリズム」を呼び起こし、「運慶・快慶」に代表される写実的な彫刻を生んだ。仏教においても、浄土宗(法
然)浄土真宗(親鸞) 臨済宗(栄西)曹洞宗(道元)時宗(一遍)法華宗(日蓮宗、日蓮)など、それまでの国家鎮護ではなく、個人の目覚めを促す精神的大変化が起こった。
それは、今までの【形而下】(貴族に命じられるままに畑を耕し、労役に駆り出される)という従来の日常や生活の中から、
「これはおかしいではないか!」
という【形而上】の声を上げ、社会を作りかえていく「革命的」出来事だったとその人は言うのです。
そして、現代の日本にもっとも大きな影響を与えている「室町時代」の商品社会の出現と個人の「やる気」の延長線上が「戦国時代」であり、その時もまた【形而下(従来型)】と【形而上(
それに対する疑問)】の相克があった、というのです。「売上が上がった(下がった)」というのは【形而下】のことです。その時に「なぜ上がったんだろう?(下がったんだろう?」と考えることが【形而上】といえば、わかりやすいでしょうか。
「苦情が発生した」「その処理を行った」というプロセスは、【形而下】のことです。「なぜ苦情が発生したのだろう?】と組織に問いかけることが【形而上】です。「来年はこれくらいの利益が必要だ」という言葉は【形而下】の言葉です。「どのようにこれを達成しようか?)」というのも【形而下】の考え方です。「なぜこれを達成しなければならないか?」ということが【形而上】の課題です。
「なぜ?」がわかって初めて組織は自ら動き出します。「組織活性化」や「業務改善」という活動は、【形而上】の問題です。目の前の「上」と「下」という言葉に置き換えてもいいかもしれません。今週もお元気で。
戸敷進一でした。