極端な言い方を許してもらえるのならば、世界は「欺瞞(ぎまん)」に満ちている。つまり、「嘘」が少なくない。少し歳を取ったので、今まで見えなかったものが見えてきたり、見えていたものが実は幻だったということも分かってきた。
【教育】(きょういく)
1 ある人間を望ましい姿に変化させるために、身心両面にわたって、意図的、計画的に働きかけること。知識の啓発、技能の教授、人間性の涵養(かんよう)などを図り、その人のもつ能力を伸ばそうと試みること。「—を受ける」「新入社員を—する」「英才—」
2 学校教育によって身につけた成果。「—のある人」
大辞林によれば、そういうことなのですが、一見なるほどと思わせながら、実は「抽象語」であることがわかる。
〜ある人間を望ましい姿に変化させる〜
とは、一体どういうことか。
〜知識の啓発、技能の教授、人間性の涵養(かんよう)〜
とは、一体どういうことでしょうか。
〜学校教育によって身につけた成果〜
と言われても、その結果「教育された教師」に変な人物達も少なくなくて・・・・・。
【育成】(いくせい)
育て上げること。育ててりっぱにすること。「後継者を—する」
「育成」に至っては、もっとへんてこりんです。
〜育ててりっぱにする〜
って、どういうことさ??
組織にとって「人財(材)育成」は、理念や能書きではありません。
にもかかわらず、「能書き」でごまかしている組織のいかに多いことか。
「なんとか研修に出しているから教育はしている」
「協会の集まりに参加させている」
「資格を取るようにいつも言っている」
「勉強しろよと声を掛けている」・・・・・
年々伸びている組織の「トップ」は、人を育てることを自分の「仕事」だと本気で考えています。売上や利益確保や金融機関交渉とまったく同じように、人を育てることが自分の仕事だと思っています。
その仕事は、派手ではないが、確実に組織を強くしているし、何よりも組織の空気を明るいものにしています。
だって、組織のトップ自らが、「教育」と「育成」の責任者なんですから。念のために言っておきますが、それは組織の大小にまったく関係はありません。
「教育」と「育成」。
それは、組織のトップの仕事です。
社長、ちゃんと仕事してくれよ!!
頼むぜ!