組織活性化コラム

緻密なる「戦略」の時代

    内側に向う「経済」

    このところ、震災情報や編発情報に紛れて、きちんとした「経済情報」が出てきません。風評被害ならぬ「風評」に似た噂のたぐいが蔓延していて、「正確な姿」が見えてきません。各種の経済指標も、テレビや新聞の片隅に追い立てられ、油断をしていると見逃してしまいかねません。多くの企業では20%~30%程度の売上減が見られるようですが、地域や業種によってはそれ以上の「売上減少」に見舞われています。貿易収支も、4月上旬の数字を見る限り、2000億円近い貿易赤字を計上し、輸出の回復が遅れれば、4~6月期も貿易赤字を計上する可能性があります。
    本来、好調な輸出に支えられ、国内需要を伸ばしていた日本において、貿易赤字の発生は、国内需要を一気に押し下げます。
    おまけに、昨今のキーワードは「自粛」「節約」「ボランティア」ですから、今までの常識では推しはかれない状況を迎えているともいえます。これに、原発の「放射能拡散」が追い討ちをかけるように、国民の気持ちを冷やし続けているので、どの時点で、経済が自立傾向を持ち始めるのかは不透明です。

    一般的に日本は、「明治維新」以来、第2次世界大戦終了直後を除いて「拡大経済」を前提に走り続けてきました。人口が増える、という前提で社会システムの構築を行い、また給料は上がる、という前提で生活設計を行い、一次的に消費が落ち込んでも、国家がてこ入れをするという前提で企業は経営の舵取りを行っていました。しかしながら、明治維新から143年、終戦から66年を経て、そうした「前提」がことごとく成り立たなくなってきています。
    人口は明確に「減少」し続け、国際経済の波は「デフレ」を維持する方向に働き続け、国家財政は「危機的」状況にあって国際評価も急速に下がっています。つまり、今までの「前提」となるべき諸条件が根底から覆されているのです。現政権が、「税制」や「年金制度」「教育問題」「防衛課題」「外交政策」「原発対策」「放射能対策」など山積する多くの課題について、まったく手も足も出なくなっているのは、そうした諸条件の「前提」が覆っているにもかかわらず、問題を先送りしようとしているからに他なりません。
    戦後「60年目」の総理大臣は小泉でした。おそらく、その頃までしか、従来の「前提」は使えなかったはずです。その後、6年間、安倍、福田、麻生、鳩山、という総理大臣たちが短命で終わった理由は、すでに時代は変わっているにもかかわらず、以前の手法で国家経営をしようとしたからです。福田などという総理大臣が一体何をやったのかを正確に語れる人は少ないのではないでしょうか。その変化についていけなかったものは、何も政治だけではありませんでした。「相撲」や「野球」などという伝統的なエンターテインメントも凋落の憂き目を見ています。「相撲」はテレビ中継されず、プロ野球のテレビの視聴率も人気の巨人軍ですら年間10%以下となり、放映が激減しています。そして、若者達も「内向き」になり、米国への留学生は10年前の4割減少となりました。国際的な関わりもまた、変化をしているのです。

    内側に向う「精神」

    先日、あるジャーナリストの方と話す機会がありました。
    「企業コンサルティングの場面で、最近の若者気質がよく分からい瞬間があるのだが、ジャーナリストとしてどのように考えますか?」
    と質問したところ、少し考えてこう答えてもらえました。
    「最近の若者たちが反応するのは、以前の若者達と違ってプライベートな方向へ傾斜をしているようだ。昔ならば、今回の震災や放射能の問題に関して、政府の不誠実な対応や情報の隠蔽を激しく糾弾し、ストやデモで対抗しようとしたのだが、最近の若い連中はまず【ボランティア】へ出かけたい、というふうに考えるようだ」
    なるほどと、納得したのは、29歳の航空自衛隊空士長が、職務を放棄して東北震災の復興ボランティアに参加し、処分されたというニュースを見たときでした。すでに、職業とボランティアの「区別」がつかなくなっている若者達が出現しているのでしょうか。
    「仕事を休んででも、東北へボランティアへ行きたい」
    という若者は少なくないそうです。
    親しい大学生にそのあたりの「気分」について尋ねると
    「日常で、親密な人間関係を築けていないので、災害などという分かりやすい場ならば、お互いに共感できる、という安易な思い込みがあるのではないか」
    という話をしてくれました。
    企業コンサルティングの現場で、かなりの頻度で感じる「現代若者気質」の違和感の一端を知らされたような気がしました。「組織への忠誠」よりも「自分の感性」を重視する若者たちが増えているようです。

    東京では、江戸時代から続いていた「三社祭(さんじゃまつり)」が、今回の震災をきっかけに中止されることとなりました。
    「神事を中止するとは、何事か!日本人は狂ったんじゃないのか!まさか隅田川の花火大会を中止にするようなことはないだろうな!あの花火大会は【関東大震災】で被災した市民を勇気づけるために開催されたものだ。そうした伝統をないがしろにするようなことは許せない!長い歴史の中には、いい時もあれば悪い時もある。しかし、それを乗り越えて、祭りや神事があるというのに、最近の日本人は狂ったとしか思えない!」
    ある企業経営者は、昨今の間違った「自粛」傾向を嘆きます。
    まさに、目先のムードでしか物事を捉えられず、長期的な視点を失い「内側」へ篭(こも)ってしまった政治家やマスコミの姿が見えてきます。

    細密な「戦略」と「情報収集」

    今に始まったことではありませんが、マスコミはある時期から「正確な情報」を提供しなくなりました。実際の取材現場では、かなり突っ込んだ部分まで取材しているのですが、それが紙面や画面に登場するまでに「何重(なんじゅう)」もの【厳重な社内検閲】を経て、無味乾燥なものに変質してゆくのだそうです。
    そうなると、情報の受け手であるわれわれは、流れている「情報」に関して構えなければなりません。どこまでが「事実」で、どこからが「隠されている」のか?同時に、日々の生活や業務を通して、直接感じる「皮膚感覚」が重要です。時代変化の第一歩は、政治家やマスコミが教えてくれるものではなく、自分自身や自分の所属する組織全体で「感じる」べきものです。

    企業経営の現場でも、個人の日常生活の場面でも、「従来型」の感覚でものを考えるわけにはいきません。

    戦略( Strategy)とは、一般的に特定の目標を達成するために、長期的視野と複合思考で力や資源を総合的に運用する技術、科学である、と定義されています。
    現代は「インスタント万能時代」なので、ハウツーや○○術が街中にあふれ返っています。しかし、時代変化の大きな節目の時代には、そうした手軽な方法論ではタイミングや方向を見失いかねません。
    問いかけなければならないものは、「緻密なる戦略」です。
    すでに述べたように、社会も個人の気持ちも、大きく変化しようとしています。その時に、組織をどの位置に導くのかを、真剣に考える必要があります。右肩上がりの「補助線」がない時代を生きていかなければなりません。誰かの「手助け」を当てにできない時代を生きていかなければなりません。自社の戦力や地域特性を改めて分析し直し、新しい組織のための「地図」や「図面」が必要なのです。時には「撤退戦」を含む戦略を描かなければならないかもしれません。
    おそらくこれからは「情報弱者」では生き残りはむつかしいかもしれません。それは、単なる「IT技術」の優劣を指しているのではなく、誰かの「情報」に躍らせられることのない「自覚」を意味しています。「緻密な戦略」のためには、「皮膚感覚」に裏付けされた「情報」が重要に鳴ります。

    この連休期間中、少々旅をしました。こどもの日を含んだ連休だったので、「鯉のぼり」をさまざまな地域で意識して探したのですが、見つけることができたのはほんのわずかなものでした。子供の数が減っていることと、震災によって自粛していることと、子供の誕生や成長を他者に誇ることをしなくなった家族の崩壊を感じました。2011年、初夏の風景として記憶しておきたい「皮膚感覚」でした。
    日本中が「内側」へ向い出した時代に、組織をどこに導くのか。個人としてどのように生きていくのか。問いかけられている「刃(やいば)」から経営者や経営幹部は眼をそらしてはなりません。

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