こんにちは。戸敷進一です。
寒さも今がピークでしょうか。先週、大阪や奈良を旅しながら、ずいぶんと寒さを感じました。以前真冬の北海道や東北を訪れた時からすればたいしたことはないのでしょうが、それでも寒いものは寒い(笑)皆様、ご自愛ください。
「とじきさん、先日、堺屋 太一の話を部下にしたら、二人とも堺屋 太一の名前を知りませんでした。大阪万博の話も知らなかった。ひょっとしてと思って田中角栄の名前を出してみたら、これも知らなかった。当然、日本列島改造論も知りませんでした。とじきさんが講演で最近の若い連中はスティーブ.マックインを知らないのだといっていた意味良く分かりました。かなりショックでしたよ」
「部下の年齢はどれくらいですか?」
「30歳を超えていますけど」
「はぁー.それは無理ですよ。大阪万博は1970年のことですよ。田中角栄の日本列島改造論は、1972年だったかな。現在35歳の人間は、1976年生まれですから、自分の生まれる前の出来事ですから知っているほうがおかしいくらいです。先日、私も田中角栄の話をするのに、日本の総理大臣だった人というより、田中真紀子っていう変なおばさんの父親といったほうが分かりが良かったことがありますよ」
話をした相手は45歳を超えているのですが、その世代ですら、より若い世代と話を出来なくなっているようです。1996年は、現在の日本を考える上で重要な年でした。
前年「ウインドウズ95」という画期的なOSが発表されたことにより、一気にパソコンが世の中に広まりました。同時に携帯電話が100万台以上売れたことにより、実質的な「IT元年」であり「デジタル元年」だったのです。その後の日本の産業構造は、この「デジタル化」を軸に大きく変化しました。手書きがワープロに変化しかけた時期でしたが、あっという間にそのワープロ専用機をパソコンが駆逐し、表計算やデジカメ画像が氾濫し、それまでのアナログを追い散らかしてしまいました。現在は、スマートフォンに代表される携帯端末がビジネスの現場の最先端で活用されています。
ここで、考えなくてはならないことは、その年「1996年生まれ」の世代が、現在の16歳(高校一年生)であることです。同時に、当時10歳だった小学生は、現在26歳です。そのころ18歳や22歳で社会人になりビジネスマンを始めた世代は35歳前後なのです。組織の中に何かを伝えようとするときに、そのことを忘れていると、思わぬつまずきを覚えることになります。最初から「パソコン」や「携帯電話」が手元にあった世代が、いまや働く側でも消費する側でも【主力】になっているのです。
そのことを知っておかなければ、組織改善もマーケティングも「旧世代的発想」から抜け切れないかもしれません。そして、「昔の仕組み」を若い世代へ伝えなければならないのも、現在のベテランの役割です。
「で、その若い世代にどんな風に伝えますか?」
「いや、最初からこれくらい分かるだろう、というのが危ないんだということが分かりました。これからは、もっと丁寧に考えて伝えなければ組織はうまく機能しない。少し仕組みを整えなければなりませんね」
今こそ「世代の壁」を意識して、新しい仕組みを構築するべき「時」なのかもしれません。
戸敷進一でした。
今週もお元気で。