組織活性化コラム

「本質」への問いかけ

    若い世代の人たちと言葉を交わすのは楽しい。自分がいつの間にか「歳」をとったせいもあるからかもしれないが、若い人たちと言葉を交わすと「強い刺激」を受ける。特に相手が「後継者」であったり「幹部候補生」であったりすると、私の言葉数は増える。
    個人的な感覚ながら、若い頃「苦言」や「方向」や「考え方」について教えてくれる人がいなくて、随分と回り道をしたような気がしています。今のように「通信インフラ」が発達している時代ではなく、簡単にネットで「情報」が取れる時代でもありませんでした。何かを学ぶ、ということに関して随分と制限があった時代ですから、余計な動作が必要でした。その時に、適切なアドバイスをくれる人がいれば・・・・、と考えるのは、いわば本音です。
    もっとも、現代の若者に「伝えられること」など、おじさんの独りよがりに過ぎず、若者からすれば大きなお世話だということも理解しています。しかし
    「いつか来た道、いつか行く道」
    なのです。余計なお世話であったとしても、年寄りには年寄りの役目があります。だから、若い世代の人と言葉を交わしたい。

     

    「最近のマスコミはひどいと思いませんか。放射能や増税など、政府や官僚の言いなりばかりで、本当のことを伝えません。本当に知りたいことや真実はネットのほうにあって、マスコミなど信用できません!」
    「おやおや、随分と過激な発言だねぇ」
    「だって、御用学者を並べて、都合のいい情報だけを垂れ流しているんですよ。先生は頭にきませんか?」
    「うーん・・・」
    「先生は、マスコミを信用しているんですか?」
    「ええと、まずテレビドラマの作り方を知っているかい?」
    「はぁ?」
    「テレビドラマってやつは、実は制約が大きい。例えば、スポンサーが車会社だったりすると交通事故を扱ったドラマは作れない。製薬会社がスポンサーならば医療過誤や薬害のドラマは作れない。つまり、スポンサーにとって不利になるようなドラマは作れないんだ。テレビドラマの場合、脚本に関して事前に広告会社やスポンサーの検閲があって、おかしな部分があると書き換えを命じられるっていうのは知っているかい?」
    「そうなんですか・・・・。でもそれってドラマの話でしょう。報道は意味が違いますよ!」
    「そうかな。じゃぁ聞くが、君はTBSへ毎月いくら払っているんだ?フジテレビには、テレビ朝日にはいくら払っているんだ?」
    「えっ?何の話ですか?」
    「だって、テレビの報道について文句を言っているんだろう。だから聞いている。テレビ局へ君はいくら払っているんだい?」
    「いや、テレビ局には払っていませんけど・・・。その代わり、商品を買っているので、その中に広告費が入っているので間接的には払っているんです」
    「そうか、それじゃぁ、その金額はいくらだい?」
    「いくらって言われても・・・・」
    「・・・・・」
    「何がおかしいんですか?」
    「あのね、金を払っていないのに、何で放送された内容に怒っているの?」
    「だって、マスコミは正しいことを伝えるのが使命でしょう。それを放棄しているんですよ。おかしいとは思いませんか?」
    「うーん、ひとつ聞きたいんだが、マスコミは正しい、って誰が言っているんだ?」
    「誰がって、そんなの常識でしょう!」
    「うーん、それが常識だとすれば、誰が言っているかを具体的に教えてくれないか。君のお父さんかい?それともお母さん?それとも学校の先生?会社の上司?」
    「いやぁ、だれもそんなことは言わないですけど・・・・」
    「おいおい、しっかりしてくれ。テレビ局に金は払っていない。マスコミは正しくあるべきだ、と具体的に言っている人もいない。にもかかわらず、君は怒っている。何か変じゃないか?」
    「うーん、しかし・・・・」
    「あのね、電力会社はどこの電力会社も膨大な広告費をマスコミ各社に提供している。その広告費をもらっている側が、スポンサーの意向に反したことが言えるかな。そこをちゃんと理解しておかないと、頓珍漢なことを言い出してしまうよ。それにね、おおむねマスコミ発表は正しいんだ」
    「えっ!」
    「例えば、デモに参加した参加者数を5000人とマスコミが伝えたとしよう。しかしネットではそんなことはない、2万人はいた、この動画を見てみろ!なんてことは最近良くあるよね」
    「そうです。最近はそんなことばかりですよ」
    「でもね、よく調べてみると、警察発表は5000人だったりする。ということはマスコミは嘘をついているわけではないということになるねぇ」
    「しかしそれは、警察発表がおかしいんであって、それを垂れ流すマスコミはおかしいでしょう」
    「あらら、答えを知ってるじゃん」
    「えっ、どういうことですか?」
    「今、答えを言ったよ。警察発表がおかしいんであって、って」
    「・・・・」
    「おかしいのは、マスコミなのか社会なのかを考えてごらんよ。逆の話だってあるよ。本当は500人くらいしか集まっていない周回をマスコミが主催者発表で2000人なんていっているので、記事やニュースが2000人になっていることもある。でも、マスコミが嘘を言っているわkではない。だって主催者発表って断っているんだからね。つまり、何が言いたいかというと、報道や誰かの言い分には【思惑】というものがあるということだ。その思惑に思いをはせていなければ、本当の姿は見えてこない。週刊誌の見出し、書籍のタイトル、新聞記事、ニュース内容・・・・。一喜一憂しないほうがいいよ」
    「・・・・しかしどうすればいいんですか・・・・」
    「月並みな言葉で悪いんだが、自分を磨くことだ。本を読み、自分で考え、出かけて行き、自分で考え、人の話を聞き、自分で考える。それ以外に道筋はない。つまり【本質】への問いかけを続けなければならない」

    こんな会話を最近若い世代の人と交わしました。
    「いつか来た道、いつか行く道」
    自分自身の【確立】が出来なければ、批評や批判はできないものです。逆に、自分自身が【確立】すると、対立した意見の中から学ぶべきものもあるのだということが見えてきたりします。

    おじさんの「繰言(くりごと)」ですが、時にはこんなことも言わせてください。

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