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前職は土木の会社の現場監督です。一級土木施工管理技士や測量、重機、安全、火薬の資格などを持っています。小さな会社だったので早くから管理業務に携わり、管理部長、土木部長、常務などを経てコンサルタントの道に進みました。最初は建設系企業が主体のコンサルティングでしたが、そのうち製造やサービス。流通などに関わるようになり、最近ではまったく業種に関わらず日仕事をしています。おまけに47都道府県をすべて回りましたから地域も関係なく仕事をしています。

 

設計図のない工事

こうしたいささか変わった経歴を持っている私ですが、今になってなるほどと感じる工事があります。あるカリスマ経営者がゴルフ場の建設を思い立ち、その現場に入りました。今から35年ほど前、バブル直前の頃です。朝現場に行きその社長の指示通りに山を削り道を作り、小山を作りバンカーを掘るのですが、翌朝現場に行くとその指示が変わる。あの山を10メートル後ろに下げろ。斜面を削り直せ。穴を埋めろ。池を作れ。ほぼ毎日指示が変わるのです。働いている側からすれば、やっと山を削ったらもう一度土を戻せと言われるのです。やっとグリーンの土台を作り上げたかと思うとその形を変えろと言われる。まだ監督として半人前だった私は随分と反発したものでした。とにかく「理不尽」としか言いようのない使われ方でした。何しろ設計図面がないのですから、イメージの共有が出来ない。自分なりに一生懸命考えるのですが、ことごとくそれを否定される。若かった私はよくその不満を顔に出してしまい、相当な勢いで叱られたりしました。

その社長のことを理解できたのは、後年自分が会社経営に関わるようになってからでした。

「なるほど、あの社長は経営者ではなくて芸術家だったのだ。画家がデッサンをするように線を書いては消し、書いては消しながら形を整えていたんだな」

つまり大地を使って自分のイメージを形にするという芸術行為をその社長はしていたのでした。

 

経営計画書のない経営

しかしながら、芸術家の下で働く者の立場から言わせてもらえば、これほど辛いことはない。何しろ終着点が見えない。プロセスを共有できない。まるで拷問にあっているような話です。

これと同じように「経営計画書」など意味が無い、と言い切る経営者がいます。「計画など俺の頭の中にあるのだからお前たちは言われたように働けばいいのだ」とまで言います。その結果、優れた業績が残せれば少しは報われるのですが、結果が出ないとお前たちが悪い、とカミナリが落ちます。当然そこで働く人たちは「奴隷状態」です。何のために働くかの意味を共有できずに会社へ行くのですから、組織ではなく単なる集団です。単なる集団に過ぎませんから、まともな成果を残せるはずもなく、優秀な人々から離職して行き、最後はどうでも「良い人」だけが残る。中小企業に関してはこうした殺伐とした風土の組織が少なくありません。

ある公共事業が主体の経営者がこう言いました。「我々の業界は政治が決める。どの政党が政権を取るか、どれくらい予算がつくかはわからない。だから経営計画など作れないし、作っても意味は無い!」

しかし、5S活動を切り口にした組織活性化活動が進み、組織の人たちの意識が上がってきた時、その必要性に経営者が気づき、そこからその組織のV字回復が始まりました。経営者と経営幹部が魂を込めた計画なので「時間軸」と「到達プロセス」を社員たちが初めて共有できたのでした。

経営は芸術ではありません。芸術家には失敗は許されますが、経営の場合の失敗は傷になり、時に生命に関わります。経営者気取りの三流芸術家、すなわち「自分の言葉で経営計画も作れない経営者」に誰がついていきますか?「信念を語れない経営者」に誰が自分の生涯を委ねますか?さて、御社の「経営計画書」はどこにおいてありますか。まさか、引き出しの奥で眠ったりしていませんよね。大事な大事な「設計図」ですよ。