とじき雑感

tetsuの「声」 再び・・・

    かつて、4年9ヶ月、毎日書き続けた「ブログ」にこんな文章を書きました。
    私の「教え子」の話です。
    春が来るたびに、その子の声が聞こえてきます。

     

    【tetsuの「声」】

    その「子」は、茶髪でロン毛の格好で私の前に現れました。

    私がまだ建設会社に勤めていた頃、自分の現場でどうしても間に合いそうもない仕事があって、知り合いの会社に「型枠」の仕事を頼んだときのことです。今から16年も前の頃のことですが、宮崎のような「片田舎」ではそのような「子」は珍しかった。特に、元気のいい「男の子」たちが入ってくる「土木の現場」でも、茶髪にロン毛は目立ちました。
    もともとまったく外見で人を判断しない「現場監督」ですから気にも留めず、現場で使ってみると、案外使い物になる。「型枠大工」としての腕は素人に毛が生えた程度なのですが、何よりも人使いがうまい。年上の作業員をうまく使いながら、工期のない現場を何とか凌ごうとする。気分にむらはあるのですが、性格は明るく、少しだけ「骨」のありそうな気配をさせていた。工期がないので随分無理をさせたのですが、その分可愛がった。一回り以上歳の離れた「男の子」でした。

    3ヶ月近く一緒の現場にいて、工事が終わりかけた頃、その「男の子」が、今の会社を辞めて、私の下で働きたいと言ってきた。
    さて、そうなると困るのは私でした。現場で可愛がるのと、自分の会社に引き抜くのはかなり意味が違う。ましてや「応援」をしてもらった企業へ対して「顔」が立たない。業界としてはそうした「不義理」を最も嫌うのです。たとえ「若者一人」とはいえ軽々に出来ることではありません。散々に迷った私は、相手方の企業へ正式に断りをいれ、その「子」を移籍させてもらうことにしました。

    そんなことがきっかけで、その「男の子」を連れて、現場の仕事をすることになりました。まともに「現場測量」や「工事写真」もできないので、一からの教育になります。現場でも朝早くから夜遅くまで使いまくるのですが、文句も言わない。少なくとも、仕事に関しては一途でした。
    難点は、少々「酒癖」が悪い。酔うと、翌日のことが頭から飛ぶことがある。「作業員」としてならば許されることでも「現場員」としては許されることではありません。随分厳しくそのあたりを言い聞かせていたので、二日酔いでも現場を休むことはない。遅刻もしない。その意味では、真面目な部分もあったのです。
    それでもある日、ぎりぎりの人数でやっている現場の「生コンクリート打ち」の朝、遅刻した。他の「若い子」ならば、笑って許した程度のことですが、その「子」に限っては許しませんでした。2時間ほど遅れて真っ青な顔で現場に駆けつけた「その子」に向かい、私は、二度と私の現場に来るな、と言いました。現場の「空気」がいっぺんに凍りつくのが分かりました。何しろ、私が一番可愛がっていたのをみんな知っているのです。仲間の「若い子」たちの目が点になっていました。
    「破門、ですか!」
    元気のいい土木現場の「男の子」は半泣きでそういう表現をしました。
    「そうじゃ!二度と俺の現場に顔を見せるな!」
    その「子」が現場から帰った後、ベテランの「世話役」が、
    「厳しすぎるのではないか。悪い子ではないのだから許してやって良いのではないか」
    と真顔で言ったのを覚えています。
    その日の夕方、社長から連絡をもらいました。
    「破門にしたそうだな(笑)」
    「なんで、社長が知っているんですか?」
    「昼過ぎ、俺のところに来て、おまえに破門されたと言ってきた。よその現場に行かせるから、文句は言うな!。いいな!」
    「・・・・はい・・・」

    私の現場には来なくても、同じ会社ですから顔を合わせることはあります。特に若い連中の仲が良い会社でしたから、その「子」の現場での様子も聞こえてくる。しばらくして顔を見かけたとき、髪を短く刈り上げ茶髪は消えていました。それでも私に声をかける勇気はなかったようで、小さく頭を下げるだけでした。

    私の現場で再び使うようになったのは、一年ほどしてからのことでした。
    「次の俺の現場に来るか?」
    そのときのその「子」の顔ははっきりと覚えています。
    「行っていいんですか?」
    「おう、その代わり今度同じ失敗をしたら知らんぞ」
    「はいぃ!」

    勤めていたその会社を辞めて自分で「コンサルタント会社」を始めるときに、随分と会社ともめました。特に社長が許してくれず、一年ほどああでもないこうでもないというやり取りが続きました。最終的に、辞める事が決まった後、その「子」は、さびしそうな顔で「頑張ってください」と言ってくれました。

    狭い町なので、その後も時折、顔を合わせることがありました。その「子」が子供を連れて町で出会うと、うれしそうな顔をする。年末に信号待ちをしていると、隣に止まった車の窓が開き、その「子」が大声で声をかけてくる。助手席に座った私の息子にまで声をかけてくる。家族ぐるみの付き合いもしていたのです。
    「忙しいか?」
    車の窓越しに声をかける。
    「はい、忙しいです」
    「気張れよ!」
    「はい」

    ブログでよく紹介するH建設の専務からその「子」の現場の様子を聞くこともありました。
    「一緒に現場をさせてもらっているんだけど、彼の現場は良く【5S】が出来ている。さすがとじきさんが育てただけの事はある」
    「マジですか?」
    「ああ、うちの連中も見習わせなきゃいかん!」

    体調が悪く、会社を休んでいるという話を聞いたのは3年ほど前のことでした。難病指定を受けた病名を聞いてびっくりしました。
    「薬を飲みだしてから、どうも本当じゃないな」
    かつての同僚からそんな話を聞きました。
    「駄目かもしれませんねぇ・・・・」
    一緒に働いていたhiroですらそんなことを言っていた。そのhiroを連れてきたのもその「子」でした。

    彼から電話をもらったのは、二年前の夏のことです。
    コンサルティングの最中だったので、その場では電話に出れず、夜になって電話をかけました。
    すでに夜が更け、酒を飲んでいた彼の話は実に取り止めがない。おまけに医者からもらった薬を服用しているようで、感情の起伏が激しい。時に笑い、時に泣く彼の話を1時間半近く辛抱強く聞きました。

    会社を辞めた話、病気のこと・・・・。
    離婚の原因、子供のこと・・・・・。
    私との出会い、「破門」の話・・・・。
    今までのこと、今のこと、今からのこと・・・・。

    話を聞いてくれる人間が欲しいのだ、ということが痛いほど分かりました。時に、建設の世界を離れた私のことを自分勝手と口汚くののしり、挙句、「あんたは、俺の親ですから!」と泣く。
    そうした電話をもらったことを私は家人にも話しませんでした。
    1時間半ほど話し続け、ようやく落ち着いた彼にこういいました。

    「気張れよ!」
    「はい・・・・」

    それが「tetsu」との最後の会話でした。

    4月に入って、別の用事でかつて勤めていた会社の課長と電話で話し、切り終わったらすぐに課長から電話が入った。
    「とじきさん。tetsuが死んだのは知らないよね」
    「・・・いつ?」
    「3月の23日だったかな。葬式に行ってその場からあんたに電話しようかと思ったんだが、どうせ忙しいし、と考えて電話をしなかった」
    「・・・・自殺か?」
    思わず、そんな言葉が口をついたのは、最後の電話での会話があったからでした。
    「違うよ、病死だ。しかし、自殺のようなものかもしれん・・・」
    トヨタの季節工で愛知県に行き、年末に派遣切りに合い、宮崎へ帰り、そのまま実家で寝付いたのだという。
    「最後はコーラしか飲めなかったらしい」
    「コーラ・・・・」
    確かに、コーヒーよりもコーラを飲んでいた「やんちゃ」でした。真冬でもコーラを飲む。早く大人になれ、そんな言い方でコーラ好きをからかった覚えがあります。
    前後の話を聞き、すぐにその上司であるかつての同僚の部長に電話をする。
    「自殺かと思ったよ」
    「あんたもそうかい。俺も最初聞いたときはそんな気がした・・・」
    葬儀に参列した仲間の名前を聞く。
    「寂しい葬式じゃったよ」
    「そうか・・・・」

    電話を切って、用件を済ませた後、少し遠回りをして「下村川」という川に行ってきました。
    夏の集中豪雨で、上流の立ち木が流れ込み、地形を変え、地盤を緩めた災害の現場でした。最初、現場踏査をしたとき、どこから手をつけていいのか分からないほどひどい現場でした。その現場で、夜遅くまでtetsuと測量をしたものでした。雨の多い年で、工事は随分と難航しました。
    そして、その現場で私はtetsuを「破門」したのです。
    まっすぐに改修された河川は、どこが「工区」であったかも定かではありません。びっしりと生い茂った草に行く手を阻まれ、管理道路も歩きにくい。

    4月の穏やかな日差しの中で、かすかにせせらぎが聞こえてくる。
    15歳も年下の「友人」の死が、なかなか実感として湧いてこない。
    川辺で煙草を吸いながら、tetsuの長男が高校に入る年であることに気付き、不意に狼狽した気分になった。そして、ようやく悲しみがこみ上げてきた。

    「とじきさん、俺は大丈夫っすよ!」

    そんな声を二度と聞くことはない。

    tetsu、享年、37歳。

    合掌

     

     

     

     

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