九州という「田舎」に住んでいると、人の向いている方向がよく見えます。
一般的に九州人は、東京を向いている。大阪ではなく、東京というところが鎌倉幕府以来、関東の御家人が九州に派遣されたという歴史的事実を踏まえているようです。坂東武者の「名こそ惜しけれ」といういさぎよさと、九州人のいい意味での「短絡さ」は共通の根を持っているのかもしれません。
これが四国になると、どうやら大阪を向いている気配がある。瀬戸内海を挟んで、近畿文化圏に属していた時代が長いので、大阪を近くに感じるのかもしれません。言葉も関西風のイントネーションに聞こえます。
東北、北海道は当然ながら、東京でしょうか。それぞれの土地で話をさせてもらうと、皆さん東京の意向や動向を随分と気にしている雰囲気があります。これもまた、歴史的に東京支配を受けていた名残かもしれません。
無意識のうちに、人間は、どこかの方向を向いています。
例えば「外国映画」といえば、多くの日本人は「ハリウッド」を思い浮かべます。「人気スポーツ」といえば、日本では国際的にはさっぱり認められていない「野球」が上位に入ってきます。これは、戦後GHQが日本統治をスムースに行うために10年近く武道(柔術、剣術、空手)を禁止して、「3S政策(screen.sport.sex)」を施してきた成果です。
人間は無意識のうちに「枠組み」に捉えられています。
人間は無意識のうちに「方向」を選んでいます。
それぞれの業界が、それぞれの組織が、それぞれの個人が、ある一定の枠とある特定の方向を向いています。しかしながら、その枠組や向いている方向が時代に合わなくなったとしたら、ためらわず、方向と枠組の変更を行わなければなりません。
全く縁もゆかりもない業界に、素晴らしい仕組みがあります。知らない地域や地方に素晴らしい人たちがいます。
車に全く興味のない人は、行き交う車に興味を示しません。
植物に全く興味のない人にとって、高原や森は退屈な場所です。
今が苦しいのなら、勇気を持って違う方向へ目を向ける必要があります。
これからが不安ならば、自ら枠組を疑ってみる必要があります。
今、問われているのは、意識の「方向」と「枠」です。
神戸へ向かう新幹線の中で、そんなことを考えました。