「一家」の物語を、誰を主人公にして語るかということで、話し始める時代が変わります。
極めて私事ながら、満97歳だった母方の叔母が亡くなりました。
2週間前に家人と一緒に入院先に見舞いに行き、その時すでに自分なりの別れは済ましていました。
私より「41歳」年上の彼女は、私にとって生まれた時から「おばちゃん」であり、ある意味「ばあちゃん」でもありました。
すでに、50歳を超えている私ですら、「大正」という時代と「昭和」という時代について、正確に語ることはできません。文献を読んだり想像したりするのですが、きちんと整理された状態で時代認識はできていません。その中で、14年前に亡くなった叔父と一昨日亡くなった叔母の存在は実に大きなものでした。子供のころ、彼らから聞いた話が、明治の終わりや大正のにおいを持つものであったからでした。
大正デモクラシーから昭和前期の混乱は、今と比較にならいほどの動乱期です。その時代を、叔父も叔母も生き抜いてきたのでした。
個人的に、叔母には随分と可愛がってもらいました。
長寿が語られる時代の中で、満97歳は大往生です。
しかしながら、生きている時間が長かった分、相応の哀しみがあったことも、可愛がってもらった分、知っています。
叔母は、その生涯の中で「孫」と「娘」を亡くしています。
「長生きはするもんじゃないなぁ・・・」
「孫」を亡くした夜、叔母は私の手を握って何度もそう言ったものでした。
連休初日の出来事だったので、通夜も葬儀も出ることができました。
久しぶりに会う従兄やその子供たちの顔を見て、「一家」の物語のひとりの主人公が亡くなったことを知りました。
梅子 享年98歳 合掌