RCサクセションというロックグループの初期作品に「僕の好きな先生」という曲があります。1972年(昭和47年)の作品で、いわゆるフォークソングに属する曲なのですが、忌野清志郎いという、後年日本のロックシーンやライブシーンに大きな影響を与える人物のキャラクターの効いた曲です。この曲を初めて聞いたとき、中学校のバスケット部顧問のY先生の顔が浮かびました。数学の教師なのですが、姿勢が良い人物でいつもタバコを吸っていました。普段は極めて物静かですが、何かの折に見せる激しさはちょっとほかの先生にはない迫力でした。
「海軍兵学校の出身らしいよ」
中学校の時、そんな話を聞いたことがあるのですが、確かめたことはありませんでした。その頃不思議だったのは、他の教師たちがその先生の悪口を言っていたことでした。とてもいい先生なのに、他の教師が授業中に時々Y先生の名前を出して悪口を言うのです。高校に入ってその悪口を言っていた教師たちが「日教組」に所属する左翼教師たちで、顧問の先生が組合に入っていなかったことを知りました。「日教組」がどれだけひどい組織だったかは、その一事を見てもわかるでしょうか。授業の場で子供達に向かって同僚の悪口を言うという、人間として最低で「クズ」のような連中の集まりでした。
もっとも、顧問のY先生はそんなことなど全く気にする様子もなく、淡々としたものでした。今考えれば、人間の品格や品性が他の教師たちとは全く違っていて「孤高」といってもいいような雰囲気を持っていました。格別可愛がってもらったわけではありませんが、強く記憶に残っている先生です。
親しくさせていただいている「横浜総合事務所」の泉先生が、ロシアの山へ出かけ、帰ってきました。先生のブログは、会計人としての「がんばろう経営者」と自然人(?)としての「癒しの週末森暮らし」がありますが、「癒し・・・」のブログに、ロシア山岳挑戦記(?)が紹介されています。
60歳までに「エベレスト」へ登ることを決めている私と同い年の泉先生は、年に何度か5~6000m級の山へ登っています。留守番を任されるパートナーの方々は「大変」なようですが、出かけていった先生も大変です。前回ネパールから帰ってきた直後にお会いした時には、5Kg痩せ、お会いしたのは懇親会だったのですが一滴もお酒を飲まず、風のようにお帰りになりました。今回も体調不良の中、ギリギリまで山頂を狙っていたようです。
~登山は、唯一、「死」という結果がルールに組み込まれているスポーツです。だからこそ、どんなスポーツよりも刺激的で哲学的で真摯になれる、素晴らしい世界なんだと思います...。
モチベーションと決断のせめぎあいの世界、最後はどんな時も自己責任ですね。~
泉先生のこの文章を読んだとき、なぜ中学の頃のY先生を思い出したのかよくわかりません。しかし、若い頃から「死」を意識してきた人間の気配からなのか、「自己責任」ということを教えてくれた姿からなのか、生き方としての「姿勢の良さ」からなのか・・・。
二人とも「僕の好きな先生!」です。
(写真は、泉先生のブログから無断拝借です。RCサクセションの曲は【裏ブログ】でご紹介)