連日「レジュメ」作りに追われています。世の中は絶えず変化しているので、その変化に合わせて「表現」は変えていかなくてはなりません。仕事なので当然その表現を考えるのですが、最近はその【間隔】が急速に狭まってきたように感じます。
「変化の速度が上がったのか、それとも世代間のコミュニケーションが変化したのか?」
と考えるのは、15年ほど前「Win95」が出てきた頃のような「技術」と「本質」の変化が同時に始まったような危機感を感じるからです。1996年、日本で本格的にコンピュータが普及し始めた頃、全国各地でこんな会話が交わされていたはずです。
「コンピュータで仕事をするわけじゃあるまいに・・・」
その時にはわからなかった「世代間格差」が一気に広がり、【旧世代】の退場を促進したのでした。何やら昨今の「変化」もこれに似ているかもしれません。今回は前回の「技術」と「本質」の変化に「グローバリズム」の変化が付いているので、個人の退場だけではなく【従来型組織】の退場を促すのではないか・・・。
最近の「メディア」や「知識人」は根本的なことをごまかすので、事の「本質」が見えて来ません。外交や金融や税金・社会保障制度、エネルギーや放射能に関しても「根本」に切り込まないので、課題も対策も出てこないのです。
1985年当時、年間2110時間働いていた日本人は現在1768時間しか働きません。その差は【342時間】。仮に一日8時間働くとして「年間42日」働かなくなってきている。
「なぜ、ソニーやパナソニックはサムスンに負けるのか?」
ということに関して、識者と言われる人々がシステムの違いやリーダーの資質など「偉そうなこと」を様々なことを言っていますが、韓国の労働時間平均が「年間2255時間」であることを誰も言わない。日本の労働者に比べて、「年間487時間」、日数にすると「60日」彼らは多く働いているのです。韓国の人々は、日本人より2ヶ月余計に働いている!
「労働環境が悪いのだ」
という「アプローチ」と「解釈」もあるでしょう。しかしながらそうした「現実の数字」を押さえておかなければ組織の「対策」が打てないことも事実です。法律の違いを考えれば、単純な「働け!」では課題は解決しません。しかし、日本人は以前より働いていないのです。であれば、許された範囲でどれだけの「生産性向上」と「付加価値向上」を図るのか・・・。
経営者や幹部やベテラン世代の「本質」への問いかけが必要な時代です。