3.11以来、自分の人生や知り合いの人生が変わってしまったという人は少なくありません。
直接的に、被災地に知り合いがいなくても日本に住んでいる以上、あの大震災と無縁ではありません。震災に加え、福島第一原発由来の「放射能」問題は、何一つ解決がついているわけではなく、今も放射能は1時間あたり10億ベクレル、1日240億ベクレル発生していて、収束の目処が立ちません。土壌汚染と海洋汚染による食料の問題、子供たちの被曝の問題、被災地へいつ帰れるのか、被災地の復興は進むのか・・・。
10数年前、コンサルタントになり立ての頃、どういうわけかやたら東北での仕事が多かった時期があります。その時、自分自身でハンドルを握って何度か「国道45号線」を走っているので、今回の津波の被害を受けた地域は、ある程度分かる。青森の八戸、久慈、宮古、釜石、大船渡までは車で移動しました。三陸海岸は九州とはまったく景観が異なり、何度も息を飲むような風景に出会いました。
福島第一原発から20〜30Kmに位置する「南相馬市」も何度か訪れた場所です。東京からだったら、東北新幹線か常磐線を使い、福岡からならば飛行機で仙台空港に向かい、名取駅からJRで「南相馬市」へ入りました。
弊社のクライアントが「南相馬市」のドレス・メーカーでした。
そこの社長だった方と連絡がとれたのは、原発の放射能に関して「20Km 圏内の避難指示」が「30Kmまでの屋内退避」へ拡大された日なので、3月15日の夕方でした。工場は大丈夫で、原ノ町駅までは大丈夫だったけれど、海沿いの集落が津波にあって、工場長だった方の実家が津波にやられたという話でした。おぼろげながら地形がわかるので、他人ごとの話ではありません。
その後、「南相馬市」に関する話は、連日報道を賑わしました。避難や医療機関の話、市長の活躍など、ニュースを見るたびに「南相馬市」の名前が飛び込んできました。
先週、その「南相馬市」から葉書が届きました。ドレスメーカーでの研修の時に知り合った方からでした。
「南相馬市に帰って来ました」
「3.11から22世紀へ夢が大きく膨らみました」
葉書にはそう書かれています。
何やら涙が止まらない。
遠く、福岡の地から「エール」を!!