若者達と話している時、微妙に「前提」が違っていて、少々ショックを受けることがあります。
特に「地理」と「歴史」に関しての「前提」が違う。
少なくとも、明治以前の歴史的事象は、「新幹線」も「高速道路」も「飛行機」もなかった前提で考えなければならないのですが、どうもそのあたりの位置関係や空間に関して想像力が働いていないようで、油断をすると、テレビや携帯電話がある現代の眼で歴史を見ているような雰囲気を感じてしまいます。
例えば、今から800年ほど前の「源平の争い」の時の源義経の事跡は、日本の人口が【670万人】の時代の話であることを頭のどこかにおいておかないと上手く理解できない。正史に現れる、22歳から31歳までの9年間、奈良、京都、兵庫、香川、山口、岩手、山形と事跡と足跡を辿る時、人口数や移動手段を考えると、一瞬くらくらとするほどの茫洋とした広がりを感じるのですが、若い連中はどうもそうではないらしい。
日本の全体人口が、現在の「埼玉県」くらいの人口だった頃の話なのです。テレビも新聞も電話もない時代、当然車も鉄道もない・・・・。その時の「彼らのエネルギー」や「情念」をどのように理解するか・・・。
「関が原の戦い」の頃の日本の人口も【1200万人】くらいしかないので、東西合わせて15万人とも18万人とも言われる争いは、まさに「天下分け目」の戦いなのですが、今の時代から見た18万人では、想像がしにくい。今の日本の人口規模にに直せば、200万人近い戦闘員を集めた戦いを想像しなければ、その移動手段や兵站技術の凄まじさが分からない。
自分達が商売をしている町や地域の人口をまったく知らない若い二代目経営者と話をしました。その地域の歴史的発展過程をまったく知らない経営者でした。「マーケティングの勉強」をしているという話をされた時、呆然としながら、言葉を失いました。
さりげなく、その微妙なずれを指摘すると、若い経営者はこう言い放ちました。
「いやぁ、学校じゃ教えてくれませんでしたから」
おいおい、そういう問題かぁ?????