講演やセミナーの中で、最近読んだ本の一節を少し解説をしながら紹介しています。
「戦国時代を経て江戸時代になり、武士が読書階級になったとき、人口の7%に過ぎなかった武士階級の多くは、それぞれの藩や地域で【いかに生きるべきか、いかに死すべきか】を考え続けたようです。そして当時の武士の多くは【一人でいるときも、サムライであった】という話を司馬遼太郎が話しています。人前で【サムライ】でいるのは当然として、一人でいるときも【サムライ】でいる、という挙措動作と精神のありようについての話でした。ひるがえって、私を含めた現代人はどうか、と考え始めると恥ずかしくて仕方ありません。人前では、社会人、職業人として振舞っていますが、一人でいるときの精神のありようや、生活態度はどうでしょう。果たして【一人でいるときも経営者】【一人でいるときも経営幹部】【一人でいるときも後継者】でいられるかどうか・・・・」
他人の目に見える「結果」は、すべて水面下という他人の目には見えないところでその人が動いた「結果」です。つまり、【人の知らないところでどれだけのことをしたのか】ということがすべてです。たとえ話で分かりやすく言えば、すべてのアスリートがそうでしょう。40歳を越えてウィンブルドンで一勝をして、ビーナス・ウィリアムスを苦しめた伊達公子は人の見ていないところでどれだけの【努力】をしていたのか。10年連続200本安打を打っているイチローの水面下での動きはどういうものなのだろうか。小さな体でヨーロッパで活躍するサッカーの長友も、ワールドカップで優勝したなでしこジャパンも、陸上も、スケートも、水泳も、柔道も、すべてのアスリートが人が見ていないところで戦っている。
では、「経営者として」「経営幹部として」「後継者として」私たちは・・・・。
実は、この話、講演の中で随分印象に残っているようで、セミナー終了後の感想の発表やアンケートの中で、参加者がしばしば口にしたり、文字にしたりしてくれています。
「一人のときも、武士は武士!」
大いなる「自戒」を込めて・・・・。