高校生の頃「風に吹かれて」というある作家のエッセイを田舎で読んで、いたく感じることがありました。昭和47年(1972年)くらいのことです。全国いたるところを作家が訪れ、歴史や時代や社会を自由に語る、という体裁だったでしょうか。中身はすっかり忘れてしまいましたが、「全国を旅して」というところが強烈でした。今のように交通インフラが発達しているわけではなく、まだ地方では砂利道などが残っていた時代です。田舎の高校生でした。自分が飛行機に乗る日がくることなど想像もできない程、古臭い町に住んでいました。そんな田舎の少年にとっては、全国を旅するなど、夢のまた夢みたいなものでした。
大学時代を東京で送ったものの、「全国を旅して」などという夢がかなうはずもなく、短い東北旅行と近畿地方の旅が記憶に残るくらいです。その後、九州の田舎に引きこもり、このまま夢は夢で終わるのだろうと思っていました。その無念を埋めるのは、時代が時代なので「本」を読む以外になく、40歳を超えるまで「社員旅行」以外で旅をすることもありませんでした。
ひょんなきっかけから、今の仕事に変わってから不意に周りの「風景」が変わりました。
なんと、毎週「東北に通う」。月に一度は「北海道」へ行く。大阪から、京都、金沢、山形、岩手と10日ほどの旅をする。「喜界島」や「甑(こしき)島」などという離島に何度も足を運ぶ。飛行機を乗り継ぎ、車を走らせ、フェリーに乗り込み、新幹線やローカル線に揺られ、気がつけば「46都道府県」を走破してしまいました。残念ながら「島根県」からだけ仕事の依頼が来ないのが悔しいのですが、それでもほぼ日本中を見て回りました。無論、「点と点」の結びつきにすぎない、自己満足の世界ですが、時に「なにものか」に深く感謝する瞬間があります。曲りなりにも、10代なかばの頃の「夢」がかなっているという意味からすれば、これほどの幸せはない。
「滋賀県米原市」と聞いて、まっさきに頭に浮かんだのが【佐々木道誉(どうよ)】の名前でした。「ばさら大名」として知られる道誉の墓は米原にあります。
佐々木 導誉/京極 導誉(ささき どうよ/きょうごく – )または佐々木 高氏/京極 高氏( – たかうじ)は、鎌倉時代末期から南北朝時代の武将、守護大名。若狭・近江・出雲・上総・飛騨・摂津守護。導誉は法名で、諱は高氏。一般的に「佐々木佐渡判官入道(佐々木判官)」や「佐々木道誉」の名で知られる。
日本史における南北朝時代の「悪党」(楠木正成、赤松円心、名和長年など)や「ばさら大名」(佐々木道誉、土岐 頼遠など)は、実に魅力的です。権威に媚びず、日本史上まれに見る写実的な文化を持った「鎌倉時代」という現実主義のもとで育った彼らは、思考も行動も「シンプル」で「豪快」です。もし、現代人が歴史に学ぶとすれば、彼らの「現実主義」ではないかと思うほど、エネルギーに満ちているように感じ続けています。
旅のありがたさは、時に「日常」を離れ、こうしたおおらかな思いに浸れることかもしれません。
明日は、「滋賀県湖南市」で講演の仕事です。先ほど、グーグルマップで「琵琶湖」周辺の湖西や湖東の地形を見ていたら、「湖南市」の隣は「甲賀忍者」で有名な「甲賀市」でした。長浜、彦根、近江八幡、野洲、草津と地名を眺めているだけで、何やらワクワクしてしまいます。
「彦根城」近くのホテルで、今夜は眠れそうにありません。
明日は、午前中なんとか時間をひねり出し「彦根城」へよじ登り「井伊14代」の戦国から幕末までに思いを馳せることにします。(ちなみに「彦にゃん」は嫌いですが・・・)