仕事柄、クライアント先の「会議」に参加することが多くあります。もちろんオブザーバーとしての参加なのですが、当事者ではないぶん、その組織が持っている「性質」が良く見える瞬間でもあります。

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やたら、社長の「訓話」が長い会議。それも10分20分ではなく、延々1時間半も「演説」をした社長を知っています。
専務、部長級が仕切り好きで、平気で部下の発言を封じたり、言下に意見を否定したり、集団を無様に切り裂く会議。
声の大きい人ばかりが発言を繰り返し、組織を混迷させて平気な会議。・・・

 

会議に「ルール」も「しつけ」がないために、混乱が混乱を生み、それが「嫌悪」につながり、【イヤイヤ会議】が続きます。
本来「会議」とは、組織の「コミュニケーション」を高め、組織の進べき方向を確認しあい、ロスを最小限に防ぎつつ、協力体制を作り維持することなのですが、こうした「イヤイヤ会議」は、そうした目的を忘れ、混乱の原因作りになってしまっています。なおかつ、欠席者がいても平気で、遅刻者まで続出する。オブザーバーとして参加しながら、時折、むしろ会議などしないほうが良いのではないかと思う瞬間があります。

 

一方、遅刻者もなく、参加者が眼を輝かせている会議もあります。その日の「集まり」で何を話し合い、何を理解しなければならないかを事前に理解して集まっているので、会議そのものが実に「スマート」で「スムース」で淀みがない。会議の「ルール」もきちんと決まっているので、誰かが発言する時にその発言をさえぎったり、否定するようなマイナスな言動は一切ない。
何よりも、「決定」すべき項目と「理解」しなければならないことと、組織へ「周知」しなければならないことが決まっているので、最初から最後まで会議が緩まない。
会議が緩んでいないので「組織」自体が緩んでいない・・・・。

 

日本の教育の最大の欠陥は、「会議」に関する正式な教育を教育カリキュラムの中に一切折り込んでいないことです。「村社会」が長く続き、なおかつ「島国」であった日本という国は、「言わなくても分かるはず」とか「自分で学べ」という独特な風土を持っていました。
ヨーロッパのような「陸続き」国家で認められるような「多様性」の中で暮らしてゆくという歴史的な背景を持っていないので、「意見を交わす」「立場を理解する」「集団へ伝達する」という必然性が薄かったともいえます。
しかしながら、情報量が増え、なおかつその伝達速度が上がり、高齢化社会が進み世代間の多様性が起っている現代においては、各組織がその変化を理解しておかなければ、時代に取り残されてしまいます。

 
自分達が一体どのような「会議」を行っているのか、一度本気になって客観的に見直してはいかがでしょうか。
まず「イヤイヤ会議」か「ウキウキ会議」なのか・・・・・。