ギリシャ神話には、概念の異なる二人の 「時の神」 がいます。
計ることのできる、流れる 「時間」 を意味する “クロノス(Chronos)” と、ターニングポイントなどの一瞬の 「時」 を意味する “カイロス(Kairos)” の二人です。 このカイロス神は、頭にひとつかみの前髪だけが生え、肩とカカトに翼を持った少年で、一瞬にして目の前を走り抜けます。したがって、“カイロス” を捕まえるには前髪をつかむしかない。 通り過ぎた後を追いかけても、後ろ髪が無いので捕まえられないと言われました。
チャンスは「構えて」いないと捕まえられません。つまり、「準備」ができていないところにチャンスはやって来ないのです。「運が良かった」ということは、それなりの準備があったということであり、「運が悪い」とは、それを捕まえるだけの備えがなかったということを意味します。
同じ時代を生き、同じ情報に接し、同じ環境の中を歩きながら、チャンスを掴める組織とそれを逃す組織の差は、何事かが「起こる前」に決まっています。当然、個人も同じでしょうか。
日本には、そうしたことを戒める言葉があります。「泥縄」です。
泥縄とは「泥棒を捕らえてから縄を綯う(なう)」を略したもの。泥棒を捕まえてから、慌てて(泥棒を)縛るための縄を作ることで、事が起きてから慌てて準備することを意味する。泥縄は後手になったり、その場しのぎな政治や経営の他、様々なそうした事象に対して使われ、「泥縄状態」「泥縄式○○」という言葉もある。
自省を込めて。