不安の原因
時代の行く先が、なんとなくでも見えているときに、人はあまり悩みません。
たとえば、「道筋」が明快である時に、あまり悩まない。なぜならば、予想ができるからです。
「あのあたりで、こんなことがありそうだ・・・・」
「こんなことが起こったらどうしようか・・・・」
道筋がおぼろげながらでも見えていれば、心の準備ができるし、何よりも具体的に備えることができます。先回りをして、いくつかの準備をしておけば、ずいぶんと心が安らぐ。同時に周りの人たちとも道筋を共有できるので、情報が取りやすい。誰かに悩みを打ち明けることができるし、ひょっとしたらいいアドバイスやより良い方法を教えてもらえるかもしれません。
そういう時は、不安は幾分でも休まります。
それに対して、「先」が見えないときに、人はずいぶんと悩みます。何しろ、何が起こるか分からないのですから、準備のしようがない。それ以前に、他人と「不安」を共有できないので、情報も共有できない。あれこれ思い悩むのだけれど、具体的な対策がなかなか打てず、目の前の仕事や追いかけてくる出来事を淡々と処理するだけ・・・。忙しく立ち振る舞っている間は気は紛れるけれど、本当の意味での「不安」の解消へはつながらない。そして一日を終えた後、眠りにつく前、目覚めたときに、にわかに不安を覚える。
「さて、どうすればいいのだろう・・・・」
「何から始めればいいのだろう・・・・・」
個人も、組織の人間も、組織を率いているトップも、大なり小なり、こうした不安に直面しています。
「嘘」をつく知識人
不安を解消すべく、さまざま情報を集めてみます。
新聞を読む
テレビを見る
ネット情報を調べる
週刊誌・月刊誌を読み漁る
本を読む
人の話を聞きに行く・・・・
さて、それですっきりと不安が解消されるかどうか・・・。
毎日新聞が届き、ニュースが流れます。PCの電源を入れればたちどころに日本だけではなく世界中の情報を得ることができます。本屋へ行けば、うず高くベストセラーが横置きされ、棚にはありとあらゆるジャンルの雑誌が並べられています。有名な評論家やコメンテーターたちのセミナーは活況を呈しています。
にもかかわらず、一向に不安が解消されないのはなぜでしょう。
どんなに本を読んだところで、情報を集めたところで、人の話を聞いたところで、心に青空が広がるわけではありません。
なぜでしょう。
答えは、実に簡単です。彼らは、「今まで」のことを話しているのであって、今からのことを話しているわけではないからです。おまけに、彼らは誰かのために「嘘」をついています。
分かりやすくいえば、政治家や大企業、あるいはそのことによって恩恵を受けていた利権の数々のために「嘘」をつき続けています。
例えば、昨年まであれだけ声高に叫ばれていた「環境問題」は、一体どこに消えてしまったのでしょう。3.11以前に、鳴り物入りで大騒ぎしていた「電気自動車」はどこにい行ってしまったのでしょう。放射能のことも食品のことも、メディアの前面に出てきている人々は正確にものを言ってはいません。
福島県における牛肉から「セシウム」が検出され、出荷停止や汚染牛の買取などが始まっていますが、こんな数字をメディアやコメンテーターは決して口にしません。
福島県における家畜頭数等(福島県畜産調査より)
乳用牛 18000頭
肉用牛 84000頭
豚 200000頭
養鶏 57000000羽
牛は騒ぐけれど、豚や鶏については口をつぐんでいるのは、「利権」にからむちゃんとした理由があるからです。その理由を恐れ、誰も本当のことを言わないのです。
本当のことを言ってしまえば、今までの「食品タブー」や「流通タブー」、そして補償がらみで「電力タブー」や「原発タブー」、政治家の「献金タブー」「スキャンダル」、それに関連した「外交タブー」や「医療タブー」「メディアタブー」まで一斉に噴出して手がつけられなくなってしまうのです。
今は、公の場で本当のことを言う人はメディアから排除されてしまいます。
そんな馬鹿な、などと思っている人もいるかもしれませんが、以前フジテレビの「めざましテレビ」で【めざましご意見番】として登場していた「森田実」氏がどのようにしてテレビから追われたかを調べてみれば大手メディアの本質が分かるはずです。同じく、以前テレビに良く出ていたジャーナリストの「岩上安身」も東日本大震災と放射能に関する報道が原因で画面には現れなくなりました。(もちろん、お二人とも活動をやめられたわけではなく、Web上で正確な発信をしています)
歴史的立ち位置の「過ち」
なぜ、知識人たちは的外れなことばかり言い続けているのか。
どうやら、世の知識人たちは、頭の中にいっぱい「知識」を詰め込みすぎたために、【大局】が見えなくなっているようです。
数年来の「幕末」「明治維新」を取り上げたテレビ番組や、今も続く「日露戦争」を題材にした番組の影響からか、現在の日本の混乱をその時代に当てはめようとする政治家や評論家がいます。確かに、歴史に学ぶという姿勢は大切なことであり、同時に幕末から明治の終わりまでの出来事の中に、今の日本を考え直す要素は数多くあります。しかしながら、現在を「幕末・明治維新」に例えてしまうと、今の日本の姿が正確には見えてきません。
少しでも「まとも」に「幕末・明治維新」を学べば、その時代に起こった「政治的な変化」が、【ブルジョア革命】であったことに気づきます。【ブルジョア革命】とは、国民の一部の読書階級が中心になって行う変革のことで、一般国民が参加したものではありません。
当時の日本人の人口は約3400万人、そして武士はそのうちの7%に過ぎませんでした。その7%の238万人の武士階級のうち、約3000人ほどの「はねっかえり」たちが、このままでは国が滅びるという過激な危機感から15年間ほど大騒ぎをして国体を変えていったのでした。その意味からすると、ほとんどの国民は変革に参加したとはいいがたく、当時の感覚からすれば「今まで、○○家の殿様が支配していたが、今度から天皇さんに殿様が代わったらしい」というのが正確な感覚でした。天領であった地域はもっと分かりやすかったでしょうか。
「殿様が、徳川さんから天皇さんに代わった!」
ということでした。
そんなことはない。長州の「奇兵隊」は身分を乗り越えた集団だったではないか、とおっしゃる方は、「奇兵隊」の末路や「大楽 源太郎」の末路を知ってからそう語られたほうが良い。そうしたことも学ばずに、自らの内閣を「奇兵隊内閣」などとと呼んだ総理大臣の頭の中は実に知れている。ましてや「維新の会」なるものを作って騒ぎ立てる地方自治体の長の感覚もかなり疑わしい。
現代の日本に「読書階級」という【ブルジョア階級】が存在しない以上、「幕末・明治維新」など何の参考にもなりません。
つまり、「現代」という時代に対する感覚が、大きくずれているために、政治家や評論家や知識人たちは、「今」を正確に語れず、当然、「今から」を語れなくなっているのです。
そうした連中が「書いた」「しゃべった」言葉に真実もなければ、次の時代を切り開く力もありません。
本当の「乱世」の始まり
現代を「乱世」だと語る人々はたくさんいます。新聞の広告や講演のタイトルでも「乱世」という言葉をよく見かけます。
確かに、先行きが不透明で、なおかつ誰かがこれからの道筋を明確に示してくれているわけではないので、「安定期」ではなく紛れもなく「乱世」です。ましてや、「放射能」などという目には見えない恐怖が日常に忍び込み、人々の健康を脅かし続けているのですから、ますます「不安」は増大します。東北・北関東だけではなく、全国の幼い子供を持つ「母親」たちがわが子を守るために「鬼子母神」となり子供の将来のために戦っている姿はまさに「乱世」です。しかし、その「乱世」ですら、知識人たちは、正確に認識しているようには見えません。ぬくぬくと育ってきた「お公家さん」のような連中ですから、【現実】から目をそらし、空虚な言葉だけを念仏のように唱えるだけです。
もし、「現代」を日本の歴史の中の一時期に例えるとすれば、「戦国・前期」でしょうか。
戦後の歴史教育は、日教組をはじめとする狂った「左翼思想」にかぶれていたために、「歴史を平明に見る」という自然な姿勢すら失わせてきました。戦前、国外進出を図ったという理由から明治政府以来、国民的ヒーローに祭り上げていた「太閤秀吉」を、戦後礼賛するのはGHQに対して恐れ多いとばかりに、にわかに「織田信長」を戦国を代表するスターにしたために、われわれは、なんとなく「織田信長が今川義元を討った桶狭間の戦い」からを戦国時代だと考えているふしがあります。しかし、実は「戦国時代」は約100年続いているのです。「信長、秀吉、家康」などは、そのうちの後期に現れてきた武将たちです。その後期の姿だけを見て、戦国時代を想像してはなりません。
おおむね、「戦国時代」は、前期、中期、後期に分けられます。
前期とは、足利5代将軍・足利義教が「嘉吉の乱」で三好氏に暗殺され、「室町幕府」が権威をじわじわと落としてゆく中で、「応仁の乱」により中央政権としての体制が瓦解したあとの混乱を指します。中央政府が権威を落とすと同時に、その政治体制にぶら下がっていた地方の守護大名も力を失っていきました。
何やら現代の政治風景に似ているように思うのは、戦後の長い時期を支配してきた「自民党」が勢力と人材を失い、その代わりに出てきた「民主党」に政権担当能力がなく、連動して地方自治体の長がまったく機能しなくなった姿を重ねてしまうからです。現在はかろうじて「官僚組織」が細々と機能しているので大きなほころびに至っていませんが、時代変化の速度とグローバル化をまったく考えていない、という意味からすれば、早暁立ち行かなくなるのは目に見えています。そして発生するのは、新しい形の「混乱」です。
中央が力を失って
各地の戦国前期の資料関係を調べてみたことがあります。
各地でまるで「トーナメント」が行われているように、さまざまな勢力が衝突を繰り返しています。初めて知るような氏族が、繰り返し繰り返し戦い、中期に突入しています。
中期の代表者は、北条早雲や斉藤道三、今川氏、武田氏、上杉氏、山内氏、細川氏、長宗我部氏、大友氏、島津氏などでしょうか。それぞれの予選を勝ち抜き、各地で割拠するようになり、戦線が拡大します。そして国内統一に向けて、異端児・織田信長が歴史の表舞台に躍り出て、後期が始まっていきます。
現代は「戦国前期」に似ています。
中央政権が力を失い、連動して同じ仕組みで動いていた地方自治体が力を失っています。
さて、そのときに「伸びてくるもの」とは何でしょうか。
国や時代のエネルギーを「100」としたとき、どんな状況になったとしても「総体」は「100」です。国や自治体がエネルギーを失ったとしたとき、その失ったエネルギーの受け手が必要になります。時代は「戦国」ではありませんから、守護大名ではありません。新しい時代の受けては、「組織」以外にありえません。それも、全国にある「中小企業」以外に新しいエネルギーを受け取れません。
先日、ある業界の方と話をしているとき、その業界の「合併」が進みそうだという話になりました。そして、その吸収する相手が「大手企業」ではなく、中堅または元気のいい小企業だというのです。しばらく話を聞きながら、なるほどと考えました。
確かに、現在の経営環境は厳しいものかもしれませんが、それを誰かが「変えてくれる」などという都合の良い話はありません。待っていても、状況は一向に良くなりません。
では、どうすればいいのか。
これから伸びていく組織の条件は
1・魅力的な経営者
2・その経営者を支える機能的な幹部
3・ネットワークを切り開く体質
ということになります。
「乱世」には【本質】が問われる
世の中の知識人たちが「説得力」を持たなくなったのは、現代に問われている課題が【本質】になってきたからです。
【本質】とは、どんな意時代が変化しても変わらないもののことです。
人間でいえば、健康、明瞭、明確、快活、正直、前向きということであり、組織でいえば、風通しの良さや団結力のことです。そして何よりもその地域や客のニーズに精通していることです
。
「本やネットの中で世の中が動いているんじゃねぇ!」
という、いささか乱暴な言葉を使わせてもらいます。
世の中の知識人たちは、「現場」を知りません。知っていたとしても、それは以前の「従来型」と呼ばれる、古い時代の「現場」です。そしてその時の「知識」や「経験」を切り売りしていると考えていたほうが良さそうです。何よりも、彼らの姿を見ていて、彼らの書いたものを読みながら「熱」を感じません。
時代を切り開いていく力には「熱」は必要です。
多くの知識人と呼ばれる人々は、ジャーナリストにしろ大学教授にしろ、どこかのアナリストにしろ、テクニックに走り、知識の切り売りをする「お公家さん」のような存在です。お公家さんの話など聞いて、戦国時代は生きてはいけなかったであろうと想像します。
「魅力的な経営者になる意思はありますか?」
「経営者を本気で支える気がありますか?」
「海外を含めたネットワークを作れますか?」
そして、もうひとつ。
気に入らない「殿様」だったら、【下克上】する勇気はありますか?
部下に向かって
「いつでも俺の首を獲りに来い!」
と啖呵が切れますか?
セミナーの冒頭で話すような内容になってしまいました。
しかし、あまりにも「尻込み」をして「棒立ち」している人たちが多すぎるのです。
「熱」を感じさせない人たちが多すぎるのです。
「乱世」の意味を考えてみてください。自分を一度「戦国時代」に置いてみれば、動きのイメージが沸くかもしれません。
さて、「乱世」の幕は、切って落とされているのです。
「組織の活性化」を本気になってやらなければならない理由です。
今、この瞬間から、何をしますか?