「歴史」に参加する
3月11日に東日本で発生した「東北大震災」は、20日を過ぎてなお被災地の救助は思うように進まず、数十万を越える人々が避難所暮らしを続けています。震災直後に比べれば物資も多少動き始めたとは言え、復興の槌音が響き渡るまでは今しばらくかかりそうです。
仕事柄、今回被災した場所には何回も行きました。
青森県の八戸から岩手県の久慈、宮古、釜石、大船渡にかけての三陸海岸は実に美しいところです。その美しい町々が大津波で消失してしまいました。
また、仙台空港から名取市、相馬市、南相馬市への海岸線も同じように津波が襲い、風景が一変してしまいました。
お亡くなりになった方々のご冥福をお祈り申し上げるとともに、被災された皆様の町々が一日も早く復興することを心より願っています。
「歴史」の中の時間は、実は、均等ではありません。ゆっくりと流れる時期もあれば、一気にほとばしるような瞬間が幾度も続く時期もあります。
「戦争」などは一番分かりやすい事柄でしょうか。日常の安全が失われ、兵士だけではなく、一般市民が生命の危機に巻き込まれ、食料などの物資が不足する状況はまさにヒートした時間の連続でしょう。
そして、「災害」や「疫病の流行」もまた平常とは違う時間の流れを示します。
一瞬のうちに数万人の命を奪い、一瞬のうちに家屋や財産を失い、なおかつ「原子力発電所」の事故により、放射能の影響が心配される現在の状況は、非日常の世界です。そして、その「戦争」や「災害」はまさに「歴史」の一コマであり、同時にその後の「歴史」に大きな影響を与えます。そして、それが日本国内で発生したのですから、同時代の人々は、地域や世代に関わらず大きな影響を受けます。
まさに今我々は、「歴史」に立ち会っているのです。新聞やテレビを通して様々な情報を得る時に、その自覚を持つ必要があります。
「国内問題」ではない
今回の「大震災」は、極東の島国で起こったことですが、「放射能の大量放出」という3次災害(地震、津波に続く)が大きな足かせとなっています。本来ならば、全国民や国際的な援助の中で被災者の救援と復興が大々的に起こっていなければならないのですが、数万人の外国人が日本を離れ、また政府も原発問題で手一杯という状態です。
被害を受けた東北地方や北関東は、首都圏のバックグランドとして重要な役割を持った地域でした。農作物だけではなく、多くの工業品の生産地であったのですが、今回の震災で部品調達が出来なくなり、国内だけではなく国際的な規模で生産に影響を与えています。
放射能の影響もまた小さくはありません。日本の農作物は世界各国で放射線検査の対象となっていますし、日本からの輸出品もその対象です。全国の観光地では外国人のキャンセルが相次ぎ、九州のハウステンボスでは6割、由布院では9割の外国人観光客のキャンセルが出ました。
何よりも、原発付近での「海水汚染」は深刻な国際不安の要因となっています。政府の発表では海水で「希釈」するので影響はない、といっていますが、海は世界につながっているので、外国も無縁ではありません。
今回の出来事は、「歴史的」な出来事であると同時に、島国日本にとっては「国際的」な出来事でもあります。
「重心移動」が始まる
今回の出来事は、これからどんな流れを辿るのでしょうか。そして、中小企業にとってどんな影響を与えるのでしょうか。
原発の問題が現在進行中である以上、確実な予測など不可能です。しかし、こうした考え方は出来ます。
北海道を船首、九州沖縄を船尾として日本列島を「船」に例えると、「右舷前方が破損」「操舵室近辺損傷」という状況です。そして、現在「船」は大きくバランスを欠いています。不謹慎な例えですが、前方部分が沈み込むような格好で、船尾が上昇をしています。現在、多くの日本人が抱えている「不安感」の原因は、その不意の「高低差」の中にいるということです。高さが下がったところは不意の落ち込みに、高さが上がったところは不意の上昇に驚いています。
日本では、すでに放射能の影響だけではなく、「リスク分散」の見地から、多くの企業や個人が「移動」を始めようとしています。例え喫水線(きっすいせん)が下がったとしても「船」は自らバランスを取ろうとします。つまり「重心」を「移動」させようとするのです。
昨年の暮、毎週発行しているメルマガ「南風通信」にこんな文章を書きました。
~2010年は、21世紀になって「最初の10年間」の節目の年でした。
成長や繁栄を期待された新世紀だったのですが、米国では2001年に「9.11事件」が発生し、その影響は現在の世界的な政治不安の一因ともなり、現在に引き継がれています。
そして、その10年前の1991年に「ソ連崩壊」が起こり、東西冷戦の緊張が崩れたところから、新たな世界が始まり、それが「9.11」へつながっていたことを忘れてはなりません。つまり、このところの世界は、10年おきに大きな節目を迎えています。
来るべき2011年は、当然そうしたサイクルの延長線上に存在しています。~
【2010.12.27発行メルマガ南風通信より】
この文章を書いたとき、今日本で起こっていることを予想していたわけではありません。しかし、「歴史的」な「国際的」なことが2011年に起こり、その後の世界の「10年間」の方向を決めるだろうという漠然とした予感がありました。
今回の出来事は、世界の「エネルギー」や「原子力開発」政策に大きな影響を与え、既存の利権集団や本来の環境推進派と深刻な対立を生み出し、大きな意味からすれば21世紀の風景にまで影響を与えます。
これから、毎日のように事態は動きます。
中国とロシアは露骨に日本の「技術」を狙っていますし、米国は今回の震災を期に、日本が「米国債」を放出しないかどうかを恐れています。
目先の動きにだけ捉われるのではなく、「船」が新たなバランスを取り戻す「重心」の移動に目を配り、諸外国の動きにも注意を払いましょう。企業の規模や業種や地域を問わず、今回の出来事と無縁でいることはできません。