組織活性化コラム

「後継者」は育たない?

    「後継者」ですか?

    仕事柄、全国のさまざまな団体に呼ばれます。個別の企業であったり、その企業の安全大会であったり、時に公的機関や金融機関からの講演要請もあります。
    中小企業の経営環境は、時々刻々変化し、同時に多様性を増しています。組織としては「多角的」なアプローチが不可欠な時代ですから、呼ばれたら「どこでも」行きます。47都道府県で言えば、島根県以外全ての地域に行きましたし、離島も随分と行きました。おかげで、地域性という文字や言葉ではなかなか分かりにくい情報も、体感として学ばせてもらいました。東日本と西日本では、組織のありようにおいて明らかな違いがありますし、都会と地方における意識の色合いも分かります。

    時に、そうした団体の中の「青年部」というところからの講演依頼があります。各協会や組合には、経営者によって構成される「親会」と、後継者や後継者候補の集まりである「子会」があります。つまり、次世代を担う人たちの集まりなのですが、おおむね定年は「40歳」のようです。「40歳」を青年、と呼ぶかどうか、いささか疑問がないわけではありませんが、かつて私もある団体の後継者候補として「青年部」に所属していたことがあるので、雰囲気や空気はよく分かります。

    さて、では「後継者」の定義はどういうものでしょうか。
    「事業や地位、財産などを受け継ぐ人」
    ということになっています。確かに企業の後継者は「借入」や「相続」の関係からしても、その子や親族が手続き上、あるいは取引上では有利かもしれません。しかし、これだけ時代変化が速いときには、一度疑ってみる必要があるかもしれません。
    ある「青年部」の集まりで、40歳を越えながら、複数のOB達が混じっている場所で講演をしました。名刺交換とその後の懇親会の席上で、彼らは自分たちのことを「後継者」だと言いました。なるほど、名刺の肩書きは確かに「専務」や「常務」となっている。しかしながら、40歳を越えてなお、先代がいるのでなかなか思うように経営参加が出来ない、と愚痴る姿を見て、随分情けない印象を持ってしまいました。彼らと変わらない年齢の「初代」たちならば、絶対に口にしないような「甘えた思い」と「自信のなさ」が透けて見える。
    「君たちは、本当に後継者かい?」
    思わずそう声を掛けてしまいました。

    後継者とは「事業や地位、財産などを受け継ぐ意思のある人たち」のことです。

    「後継者」は育たない!

    「後継者」は、育ちません。
    「企業幹部」は、時に自発的に育つことがあるのですが、「後継者」は自ら育つことはありません。なぜならば、「創業」を知らないからです。どんな企業も「創業」のプロセスは、内外において修羅場の連続です。まるで白刃の上を歩いているような危うい道を経て今に至っています。そのプロセスは、それこそ言葉や文字で伝えられるものではありません。同時に「後継者」は、「創業者」とはまったく違う課題を突きつけられています。それは「組織を守る」という、困難な課題です。
    これだけ多様化の進んだ時代に、組織を守るということは、攻撃する、ということよりも難しいかもしれません。しかし、「後継者」は、最初からこうした課題を突きつけられています。

    「後継者」は育てなければならないものです。
    創業から今までのすべてのプロセスを丁寧に伝え、なおかつ、組織の抱える課題の最先端に立たせ、育てなければ、「後継者」は出てきません。仮に「息子だから」「娘だから」「身内だから」などという従来型の考え方で組織の行く末を考えると、思いもかけない「怪我」をする。時にそれは組織にとって「致命傷」になるかもしれません。

    「後継者」は、自ら育つことはなく、「経営者」や「組織」が育てなければ出てこないものです。
    そのことを意識している組織は、思っているほど多くはありません。

    かつて、少々「激しい口調」で【卵を割る】というタイトルで、こんな文章を書きました。

    「昨日はこうだった。今日もこうだ。だから明日もこうだろう・・・」と考えている若者にあった。
    後継者である。
    もっとも、「本人」と「当代の番頭たち」がそう思っているだけで、その後継者と同世代の連中はそうは思っていない。こういう場合、私はひそかに【後継者もどき】と呼んでいる。

    後継者は、実は、孤独だ。どれくらい孤独かは、以前書いた。かつて、「後継者候補」でありながら、その企業を出て行った私にはその孤独が良く分かる。

    後継者の苦しさを口にする。
    【後継者もどき】の仲間達との活動を口にする。
    「勉強をしています」と口にする。
    自分は頑張っていると口にする。

    しかし・・・・、
    本物の「後継者たち」はそうしたことを口にしない。
    ただ、黙々と己のすべきことを行う。
    【後継者もどき】とは、「胎の括(くく)り方」が違う。

    安全なところに体を置いて、能書きだけを語る若者は、時にこちらを不愉快にさせる。その不愉快さは、また組織の中の不愉快さであるのだが、【後継者もどき】にはそれすらも見えていない。

    当代が悪いのか。
    取り巻きが悪いのか。
    はたまた本人が悪いのか。
    ただ、彼らが言うように「時代」が悪いのか・・・・。

    「卵は割らなければ、オムレツはできない」

    という言葉があるのだが、腐った卵は、割る価値すら、ない。

    教えなかった「誰か」が悪いのか。
    考えない「当人」が悪いのか。

    いずれにしても、髪の毛の薄いコンサルタントは、忙しい。卵の「中身」まで確認をするほど、暇ではない。「本物の後継者たち」が呼んでいるのだ。
    【後継者もどき】と付き合っている暇はない。

    「昨日はこうだった。今日もこうだ。だから明日もこうだろう・・・」

    はいはい、分かりました。
    あっちへ行って、遊んでいてください。
    自分で「殻を破る」勇気がないのですから、私の邪魔をしないでくれませんか。だって、私は「自分で殻を破ろうとしている卵」のお手伝いに忙しいのです。だって、彼らは必死ですもの。命がけですもの。歯を食いしばっていますもの・・・。

    「昨日はこうだった。今日もこうだ。だから明日もこうだろう・・・」

    はいはい、分かりました。あっちへ行って、遊んでいてください。

    「こらぁ、ガキ!失せろと言ってるんだ!」

    さて、皆様方の組織の「後継者」と「経営者」の佇(たたず)まいはいかがだろうか?
    「馬鹿息子」いませんか?

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