さまざまな組織と関わって確信しているのは、「組織は人」ということです。
同地域で、同業種で、同程度の規模の組織でありながら、それぞれの企業に「個性」があるのは当たり前のことです。いわゆる、「成り立ち」や「社風」が違うので、それぞれに「個性」があります。それはそれで、違いがあってもいいのですが、こと「組織としての将来性」や「組織の明るさ」や「組織の持っている底力」ということについては、「人」による【格差】として現れます。
景気低迷の中で、未来を切り開こうとする組織と、仕方が無いと開き直っている組織の違いは「個性」ではなく【格差】です。
時代変化のの速度が上がっている時に、全員でそれに対応しようとするか、諦めてしまうのかの違いもまた【格差】です。
その組織で働く人たちを「人材(財)」と見るか、「労働力」として見るかによって、その組織の持つ気配は大きく変わります。
A社の社長は、日常の中で「これは」と感じた人間を直接リクルートしてきます。それもすぐにではなく、何年もかけて自社へ招聘するのです。同地域にあって、同程度の規模で、同業種のB社長は、人が辞めてから人探しをします。多くの場合、ハローワーク経由で、ほぼそこの組織にいる人達は、ハローワークの紹介できた人たちです。A社へもB社へも出入りしている私には、それぞれの組織の持っている「空気」や「能力」や「気配」が嫌というほど分かります。
A社の社長は、徹底的に社員を褒めます。
B社の社長は、社員の悪口ばかりを言っている。そしてA社が羨ましいと、嘆く。羨ましいので、返す刀で、もう一度自社の社員の悪口を言う。
A社は、比較的勤続年数が長い人が多い。定年まで務める人も少なくない。
B社は、絶えず人が変わる。何年かおきに「部長」が変わる・・・。
働いている人を「人材(財)」と捉えるか「労働力」と考えうかで、組織の将来は大きく変わります。
【労働力の概念】
ひどく大雑把な言い方ですが、人類は
狩猟時代(部族)〜農業国家〜工業国家〜付加価値(サービス)国家
という流れを辿ります。もちろん、数百年、数千年という期間の話ではなく、数万年という長い長いスパンの話です。今風に、別の言い方をすれば、一次産業、二次産業、三次産業という表現を使って良いかもしれません。
さて、農業時代の労働年齢は何歳からだったかご存知でしょうか。
おおむね、6歳です。
何の話をしているのか、ですって?農業時代には、6歳から家業としての農業を手伝ってきました。そんなに昔の話ではありません。戦前の日本でも、田舎では小学校へ通う頃から農作業に従事させられたという話はごろごろ転がっていました。家族に子供が多かったりすると、一番上の子供は下の弟や妹の面倒を見る必要がありました。現代で言えば「保育」という仕事は子供達のものでした。そして、農業に関しては高度な教育は必要ありませんでした。
つまり、農業国家においては、6歳をもって「労働人口」に組み入れられました。商業を含めた工業国家になると、ものづくりという作業に対して、少々教育が必要になりました。文字が読める必要がありますし、初等数学くらいは習得しておかなければ、工業製品の製作や在庫管理は出来ません。よって、工業国家になると、労働年齢は少し上がります。日本で言えば、義務教育くらいは終えていないと、その時代を生きていけない。
つまり、初期の工業国家における労働人口は13歳から15歳ということになります。かつて日本でも中学卒業者が「金の卵」と呼ばれもてはやされた時代がありました。
工業化がもう少し進むと、要求される教育のレベルが高くなります。数学も初等数学ではなく、因数分解や三角関数くらいは分かっていなければいけないし、ひょっとすると外国語くらい学ぶ必要がある。つまり、教育期間が長くなる。おおむね18歳くらいまで学ぶ必要がある。そうなると、労働人口に組み込まれる年齢は18歳になります。そして、工業国家を経て、付加価値時代を迎えると、要求されるレベルが一気に多様性を増す。サービスにさまざまな専門性が要求されるため、子供たちの教育訓期間はおびただしく長くなる。18歳では、その多様性が身につかないので、それから専門学校や大学へ進み、22歳くらいまで教育を受けなければ社会が受け入れてくれない。ましてや、外国人と同等レベルで付き合うために留学までするとなると、その期間は2,3年延び、24歳か25歳を越えなければ望むような職業には就けない。医者になるためには24歳まで待たなければならないし、弁護士になるとしても相当な期間の教育を必要とする。
つまり、現在の日本のように、サービス産業、第3次産業真っ盛りの国では、25歳くらいから労働人口としてカウントされる。6歳で労働者という時代や国。
13歳や15歳で労働者という時代と国。
18歳で晴れて労働者となれる時代と国家。
22歳で一人前の社会人として認められ、労働者になる時代と国家。
25歳くらいまで学ばなければ、社会が受け入れてくれない時代と国家・・・。若年層の就職難を嘆く「新聞記事」や「政治家の発言」を見かけますが、さて、マスコミ人や政治家は、こうした「社会変化」に応じた「教育ニーズ」の変遷を果たして理解しているのかどうか・・・・。
「社会変化や時代変化」を感情論にすり替え、正確な時代認識をもって社会変革を進めようとしているのかどうか。若者達になぜ、正確な「時代要求」を伝えないのか・・・・。諮問会議などというわけの分からない会議に出席をしてふんぞり返っている学者どもは、なぜ今の延長線上にしか「未来」を見ないのか・・・。
時に、個人も組織人も「巨視的に」社会を見据える必要があります。
せめて、【曽祖父」たちの時代をリアルに想像すれば、これくらいの推定は出来る。自らの考えを見つけるために、6歳の労働者、13歳の労働者、15歳の労働者、18歳の労働者、22歳の労働者・・・・。そして、時代変化により、22歳の「不労働者」、25歳の「不労働者」をリアルに想像してみればいい。
なぜ「ニート」が多いのか、なぜ若者達の働く場所が少なくなっているのか。新聞、テレビの薄っぺらな報道ではなく、掘り下げて時代を見据える必要があります。自分の組織や自分の身を守るために、自分で考えることを怠ってはなりません。私の祖父や曽祖父たちの学歴は小学校まででした。叔父叔母たちは世代によって中学卒であり高校卒です。世代が下がるにつれ、従兄達の中に大卒がいて、その子の世代には大学院や留学経験者が何人かいる。そして大学を出ても、就職が出来ない親戚の子供達が増えてきています。短い一族の歴史の中にも「時代変化」を読み解く鍵は潜んでいます。