s_12803月から5月にかけて、立て続けに身内や親しい人の死去を迎えました。従姉妹と義母と家族ぐるみで親しくしていた友人の奥さんだったのですが、どれも突然の死だったので、驚くと同時に、ある種の悔いに似た「無念」が残りました。

身罷るは世の常なれど、残されし者の空虚さはいささか深い。

先週ようやく50日祭(神道の喪明け)が終わり、そろそろ生活のリズムと精神の立て直しを図らねばなりません。(片道370Kmの距離を何度も往復した日々でもありました)

世代として、「送る立場」に立ってるのだという自覚があります。

「長生きとは、多くの野辺送りをすること」

とは、随分昔に93歳まで生きた叔母に聞いた話でした。彼女は、34歳だった実の娘と7歳の孫を見送り、3年前に亡くなりました。そしてその死んだ娘の姉が3月に逝きました。叔母は、実の娘の死の時も孫の死の時も、我が身の長生きを嘆き、代わってやれない自分を随分と責めたものでした。

 

身罷るは、世の常なれど、送る悲しみはその度に強い。

さて、とじきもそろそろ腰を上げなければ・・・。

 

合掌