常識を疑え!

「選ぶ」と「探す」 〜探すプロセスの大切さ〜

    昨今は「情報過多」社会なので、さまざまな情報が頭上を行きかいます。タブレットを操作すれば「最新情報」を知ることができますし、検索をかければ「解答」や「対策」らしきものを瞬時に得ることができます。その種類と速度は、以前の常識では考えられないくらいのものです。

    たとえばテレビを見ながら、人名や地名を検索すれば、瞬時にデータが現れてきます。以前ならば、百科事典をめくるか、後日図書館へ出かけて探さなければならなかったデータが、一瞬のうちに手の平の中にあるのです。まことに便利な世の中になりました。

     「便利さ」の意味は、余計な【プロセス】を省いて情報を手にすることができるようになったことです。後日ではなく、今この瞬間に「分かる」「解決できる」ということは、実に画期的なことです。

     

    以前、グーグルマップが出てきたころ、グーグルの地形写真をマウスで拡大縮小をするときの動きを「神の視点」と呼んだニュース記事がありました。何気ない街の地形図写真をゆっくりと拡大すると、どんどん高い位置からの風景に変わり、街から都市、州、国、地域と拡大し、最後は地球の形になってしまうからでした。何やら、昨今のタブレットが身近にある風景は、すでに違う世界に我々が足を踏み入れているのでは以下ということを感じさせます。

     

    ある世代から上の人たちは、情報を一生懸命【探していた】ということを想像してくれないか。今の君たちのように、ネットでググって【情報を選ぶ】のではなくて、何日分も新聞の切り抜きをして、ノートにメモをとり、時には図書館に通い、書店で書籍を注文をして【情報を探していた】ということを想像してほしい」

     

    ある時、若い世代の人にそうしたことを言った覚えがあります。

    あまりにも世の中が便利になりすぎたために、若い人たちが【プロセス】を理解せず、「必要なプロセス」までを余計なことと考え、ショートカットした思考で動いているように思えたからです。

    「新聞にこう書いてあったから」

    「テレビでこう言っているから」

    「ネットではこういう風に伝えられている」

    「みんなが言っているから」・・・・

    情報を探すのではなく、膨大な検索の中から選んでいると、肝心な「自分の考え」にたどりつけなくなります。

    地方のある企業の後継者が言っている言葉が、誰かが言っている「都会型の考え」であったことがあります。

    「この町の人口はいくらですか?」

    「えっ?いやぁ知りません」

    タブレット端末で調べると、3万人足らずであることがすぐに分かりました。

    「3万人足らずの町で、そうした都会型のニーズがあるだろうか?若者人口はどれくらいなんだろうか・・・?」

    「さぁ、どれくらいでしょうか・・・」

     

    何ものかを「選ぶ」ことと「探す」ことは、結果が同じであったとしても、意味が全く違います。現代は「選ぶ」ことが主流の時代ですが、「探すプロセス」の重要性も同様に求められています。若い世代に向けて、そうした本質を伝えておかないと、厚みのある組織づくりは難しいかもしれません。

     

    「携帯電話がなかったころ」

    「道路が砂利道だったころ」

     

    時折、若い世代の人たちに昔の組織がどれほどコミュニケーションが取れていたのかを話すことがあります。

     

    「情報を探して手に入れていたころ」

     

    というタイトルでも話をしなければならない時代がやってきたようです。

     

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