組織活性化コラム

「後継者」のつらさ

    悩める「後継者」

    「後継者」の悩みは、実に深い。
    かつて私もその「端くれ」にいたので、そのあたりの気分は良く分かる。
    何しろ、後継者なので、出来て当たり前、出来なければぼろくそに言われる。しなければならないことをしてなかったりすると、時に「馬鹿呼ばわり」までされる。言われないにしても、そうした雰囲気を絶えず組織の中から受け続けなければなりません。そのプレッシャーは、相当なもので、時に「後継者」は人知れず落ち込む。落ち込んだところで誰も助けてはくれないし、慰めてもくれないのですが、それでも落ち込む。

    一見、「親の七光り」で、楽な日常を送っているように傍から見えたとしても、その胸のうちの暗さは当人にしか分かりません。

    「創業者」との違い

    「後継者」のつらさの最大のものは、「まず守るべきもの」があるということです。
    一般的に「後継者」は、まず、「先代」が築き上げ、残したものを守らなければなりません。それは企業の看板であったり、現在勤めてくれている社員の生活であったり、その企業の信用であったりします。何よりも、自分を含めた組織の人間たちの生活の基本になるものですから、そう簡単に投げ捨てるわけにはいきません。
    投げ捨てるわけにはいかないので、まず「守ること」からすべてを発想します。
    「先代」が残すであろう番頭さん、自分より年上のベテラン社員、同僚であったとしても自分の悩みを決して理解してくれない同世代の社員・・・。そして金融機関や今までの顧客もすべて守らなければなりません。
    そうして、「守り」から入るので、判断が遅れる。動きが遅くなる。おまけに他の誰かといつも比較される・・・・・。
    それに比べて「創業者」は自由です。すべて自分の責任で思うように動くことができる。従業員を選べ、顧客を選べ、商品やサービスを選べる。すべて自分の責任なので、判断が早い。動きも早い・・・・。

    本当は、「後継者」はこう言い切っても構わないのです。
    「自分の作った会社ではないので、潰したって構わないじゃないか!」
    実は、これくらいの強さがなければ「後継者」は務まらない。

    若き「後継者」へ告ぐ

    かつて(2006年)にこんな文章を書きました。

    時に僕は不安になることがある。
    君たちが果たして僕の言っている言葉の意味を正確に理解しているのか。
    時に僕は心配になることがある。
    君らが「正当な後継者」として果たして生き残っていけるのかどうか。

    想像をしてみるがいい。先代や先々代が君の年頃のとき、どれほどの歯軋りの中から立ち上がったのか。
    想像をしてみるがいい。彼らがどれほどの惨めさの中にたち続け今の地位をつかんだのか。

    君が営業系の出身ならば、今社内の誰よりも多くアクセルを踏み続けているかい?君が経理系の出身ならば、社内の誰よりも遅くまで書類の整理をしているかい?君が現場系の出身ならば、社内の誰よりも高い技術を身につけているかい?君が製造系の出身ならば、工場のことは誰よりも詳しく分かっているかい?

    よもや、誰よりも遅く出社していたりはしないよね。
    もしや、誰よりも早く会社を出たりはしていないよね。
    付き合いにかこつけて、本当は遊んでいたりはしていないよね。

    時に僕は不安になることがある。

    今月君は何冊本を読んだのだろうか?
    今月何通の手紙やメールを書いただろうか?
    今日、どんな新しいことを学んだのか教えてくれるかい。
    昨日、どんなすばらしい人に出会ったかを教えてくれるかい。

    よもや、自宅に帰ってビール片手にプロ野球なんて見ていないよね。
    まさか、夫婦そろってお笑い番組に笑い転げたりしていないよね。
    寝る前に、日記を付け忘れたりはしていないよね。
    名刺整理は毎日やっているよね。

    君は僕の言葉を覚えているだろうか。
    「跡継ぎは、人と同じことをやっていても誰も認めてくれない。2倍やっても当たり前としか見てはもらえない。3倍やって初めて、少し認めてもらえる」
    かつての私がそうだったように、【3倍のつらさ】を教えたことを忘れてはいないよね。

    仕事が無いという前に、自分たちが住んでいる街の人口ぐらい知っているよね。世帯数を覚えているよね。男女構成比や年齢構成比も知っているよね。

    20歳でも堂々とした後継者を知っているよ。30歳でも中学生並みの後継者がいることを知っているよ。40歳を超えてなお、ガキみたいな後継者をたくさん見ているよ。

    君は違うよね。

    時に僕は不安になることがある。

    子供は甘いものが好きだ。だから子供は「甘いか」「辛いか」しか分からない。大人は「すっぱい」と「にがい」を知ってるから大人なんだよ。そして、「にがい」という味は、がんばってがんばってそれでもなおうまくいかず、そこからまた立ち上がるときに初めて分かる味なんだ。
    君はもう「にがい」を覚えただろうか?

    誰かをうらやむとき、その誰かが噛んだ砂の量に思いをはせてみるがいい。
    誰かを笑うとき、己のつたなさを自覚しながら笑うがいい。

    今日の新聞は読んだかい?
    今日見たニュースを教えてくれるかい?
    明日誰と会うんだい?
    明日何をするんだい?
    まさか、予定が無いなんてことはないよね。

    時に僕は不安になることがある。
    君たちが果たして僕の言っている言葉の意味を正確に理解しているのか。
    時に僕は心配になることがある。
    君らが「正当な後継者」として果たして生き残っていけるのかどうか?
    (とじき過去ブログより)

    この文章を書いたときにイメージした「後継者」たちは、当時30代でした。彼らの半分以上は、40歳を越え、なおかつすでに「後継者」ではなく、「当代」となっています。
    それでもなお、この文章は本コラムに掲げておきたいと思います。
    「自分の作った会社ではないので、潰したって構わないじゃないか!」
    それくらいの強さが無ければ、これからの時代に組織を率いて戦ってはいけません。

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