隔週でお届けしているメルマガ「南風通信」も体調不良で2ヶ月ほど休載してしまいました。ようやく6月になって「再開」しました。
腰痛が悪化する直前の3月14日の文章です。
まだ熊本で地震が発生していなかった頃のメルマガ記事です。

 

(再録・ダメなものは、ダメ!)

こんにちは。戸敷進一です。
東日本大震災から5年が経ちました。震災が発生する以前に、仕事で三陸海岸の町で仕事をしました。八戸、久慈、宮古、釜石、大船渡など震災の被害にあった町で仕事をしました。どの町も風景の綺麗なところで、国道45号線を車で移動しながら度々車を停めて風景に魅入ったものでした。福島県の南相馬市には、東京から常磐線を使って「JR原ノ町駅」へ向かったり、福岡空港から仙台空港へ飛び「JR名取駅」から東北本線を使って「JR原ノ町駅」へ向かいました。震災の時に、メディアで何度も流れる地名や風景はかつて何度も訪れた所のものでした。
5年が経って、復興に関する報道を目にしながら、改めて当時の胸の痛みを感じます。「復興は進まず」などという言葉を聞くと、遠く離れた九州から改めて何ものかに祈らずにはいられません。
JR常磐線は未だ前線が開通していません。福島第一原子力発電所事故による帰還困難区域設定のため、竜田駅 – 原ノ町駅間および相馬駅 – 浜吉田駅間が運行休止となっています。5年を経てなお鉄道さえ復旧されていない現実に、津波だけではない災害の本質を思い知らされます。

さて、今から10数年前のことです。小泉政権下で「聖域なき構造改革」という名の金融改革を行った頃に、あるビジネス雑誌でこんな記事を読みました。
それまで夕方5時か6時くらいまでしか使えなかった銀行のATMの稼働時間を、利用者へのサービスを充実させるために延長するというプランが持ち上がった時、銀行員たちが反対したというのです。理由は、一日の業務が完了した時、金融機関はその日の収支に関して必ず実際にある現金と一致させる必要があり、稼働時間が伸びるとその業務が大きな負担になるというものでした。
記事の中では、そうした銀行員たちの態度を「従来の思考に固執している」と書き、この時にシステム構築を指導していたコンサルタントが大声で
「少々金額が違っていてもいいではないか。そんなことを言っているからいつまでたっても発展しないのだ」
と言うと、銀行員たちの目が点になったと書かれていました。
時代は、規制緩和最優先という風潮のまっただ中で、記事の論調はコンサルタントサイドが正しく、銀行員の抵抗を時代遅れの劣ったものというものでした。郵政民有化を旗印に掲げ、日本の構造を変えてゆこうという時代の記事ですが、この記事を読んだ時、かすかな「違和感」を覚えました。    何事にも「原理原則」というものがあります。それぞれの業界にも「掟」と呼ぶべき「原理原則」があるはずです。その原理を忘れ銀行業務に携わる人々へ「少々金額が違っても構わないではないか」というコンサルタントの言葉は、明らかな間違いです。一円を管理できない金融機関などあって良いはずはありません。

私は長く建設の現場に現場代理人として関わりましたが「工期なんて気にする必要などない」と考える監督など一人もいません。工期を割る、というのは「恥」であり、その「恥」をかかないために現場の人間たちは命がけで現場に臨むのです。
「少々不良品が出ても構わない」と考える製造系の人間はいません。 「少々不味くてもいいではないか」と考える料理人はいません。
「次に来てもらわなくても構わない」と考えるサービス系の人はいません。

時代が成熟して、価値観が多様化している時代です。さまざまな考え方はありますが、自分たちが何者であるのか、という「原理原則」に立って考えるとき、組織内において、相手が誰であれ「駄目なものは、駄目!」と大声を上げなければなりません。

われわれが組織活性化活動のお手伝いをする中で「5S活動」を真っ先にご提案している理由は、その組織が目指している未来の姿に対して真正面から向かい合った時、組織のあるべき形を再確認するためです。  雑然としたオフィスで生産性が上がるのか。
ホコリだらけの空間で最高のサービスが提供できるのか。
整頓さえ出来ていない工場で期待される品質が得られるのか。
挨拶もまともに出来ない職場で顧客満足など導き出せるのか。

小泉政権下で異例の速さで認可された「日本振興銀行」がわずか7年で破綻した時に、冒頭のビジネス雑誌の記事を思い出しました。バスの規制緩和の中で、多数の路線廃止が決まり、同時に新規企業の進出が進み、結果悲惨な高速バスの事故がどれだけ起こったか。労働者派遣法の改定でどれだけの非正規労働者が生まれ、社会を捻じ曲げて来たか・・・。
国が、国民や企業の将来を支援してくれるというのは幻想です。自分の身は自分で守るという現実的な視点を持って生きていかなければなりません。そのためには、改めて「駄目なものは、駄目!」という個人と組織の背骨をつくり上げる必要があります。グローバル化が進み、移民が増加して、社会はますます混沌としてきます。なおさら組織の背骨を鍛え上げなければなりません。 「駄目なものは、駄目!」と誰に向かっても言えるかどうか。

今週もお元気で。戸敷進一でした。