経営者のための人材育成コラム

働くということ

    「もっと自由に働きたいんですよ!」
    ある日、若い人たちの集まりでそんな発言があった。
    「自由に働くってどういう意味かな?もう少し具体的に言ってくれないかな?」
    「えぇと、自分なりのやり方で仕事をしたいと思っても、上があれこれ指図して命令するじゃないですか。それって働きにくいんですよね」
    何人かの若者が頷く。その他に時間にうるさいとか制約が多すぎるというような話が続く。
    「うーん、つまり遅刻しても怒るな。制服なんか着たくない。会社の決まり事などくそくらえ!ってことかな?」
    私がそう言うと、みんなかぶりを振る。そこまで強く言っているんじゃないけど、もう少し働く環境を自分たち向けに緩和してほしいらしい。少々のことは目をつぶってくれ、という程度の話のようです。

    「では、少しおじさんの話を聞け!」
    笑いながら立ち上がって私が切り出す。
    「人間は動物だ。これはいいかな。よろしい、全員これは分かっているね。では、動物は一日何をしているか考えたことはあるだろうか。ライオンやトラ、オオカミ、キリンやシマウマ、鳥、魚、虫・・・。これらは一日中食い物を探している。これはわかるだろうか?もちろん食い物にありついて満腹したら安全なところで寝っ転がるだろうけど、腹が空くとまた食い物を探さなければならない。動物は一日中食い物を探し、一年中食い物を探し、一生を終える。怪我をしたり天変地異があって食い物が手に入らなくなったら死ぬ。それはわかるかな?」
    「うちの犬は食い物を探しませんよ」
    その合手に場内から笑い声が漏れる。
    「うん、それは家畜の話だ。家畜の話は後でしよう。ただ、動物は食い物を探し、それがなければ死ぬ、それはいいかな?」
    怪訝な顔をしているが、格別反対意見は出てこない。

    「では、人間は動物である。これが根本です。ここから人間は出発しています。その人間が社会生活を営む時に真っ先に考えたのが【共食い】をしないと言うことでした。随分昔の人間は死んだ人間の肉を食べていたらしい。動物ですから当たり前の話です。親だろうが子だろうが死んだら食物です。しかしそれを放置しておくと腹が減ったらすぐ目の前の子供を食べてしまうので、それはタブーとする必要がありました。宗教とも呼べない原始タブーの最初は、仲間を殺さない、食べないだっただろうと考えられます。それでも敵は別だったようで、ヨーロッパがイスラムを攻めた十字軍の中ではイスラムの子どもたちを捕まえては串刺しにして丸焼きの人間をキリスト教徒たちが食べていたようです。これはキリスト教のラウールという聖職者が記録として残していることですが・・・」
    若い女の子たちが眉をひそめる。構わずに私は話をする。
    「その、今からすれば野蛮極まりない人間たちも、安心して暮らすために、人を殺すな、人のものを盗むな、ひとの女房に手を出すな、一族は力を合わせて戦えという戒律を様々な宗教から規制していきました。そして、子供を大切に育てろ、年寄りは大事にしろ、自然に感謝しろなどという変化を経て集団が形成されました。そして集団と集団が食い物を巡って様々な争いを繰り返している中で、共存という発展を遂げ、そこで【物々交換】という原始経済が始まった。魚を野菜に、貝を野菜に、肉を野菜に、布を金属に、木工品を食べ物に、とそれぞれ価値観が合う数量でものの交換が始まりました。そうしているうちに、集落が村に、村が地方に、地方が国家に変貌する過程で、国家権力により【貨幣】というものが定められ、人々はものではなく貨幣によって食物を手に入れることができるようないなった。ここまではいいかな」
    若者たちは少しだけ聞く耳を持ってくれたようでした。

    「さて、何に話をしたいのか。人間は動物である。動物は食い物がなければ生きていけない。その食い物を手に入れる時先祖たちは命をかけて自分や家族のために戦って来た。貨幣が流通するようになって物理的な闘争は影を潜めたが、働くことは食い物を得るために行っているという原理を忘れないようにしてもらいたい」
    「先ほど、うちの犬は食い物を探さないという話が出たが、犬や猫や牛や豚は家畜だ。家畜に自由はない。与えられた場所と与えられた餌で生きて行く」

    「何百世代か前、君たちの先祖が弓も持たず槍も持たず、大地にたってる風景を想像してほしい。鬱蒼とした森の中で他の獣たちの気配に気を配りながら食い物を探していた姿を想像してほしい。腹を空かした子どもたちを引き連れて海岸に佇んでいたであろう姿を想像してほしい。働くってどういうことだろうか?自由ってどういうことだろうか?」
    「食えなくなったら親が助けてくれる。これは家畜だ。食えなくなったら誰かが助けてくれる。これも家畜だ。君たちは家畜だろうか?」

    「私の尊敬する【光瀬龍】という作家の博物記にこんなエピソードがある。子供の頃飼っていた金魚を池に放った事があるらしい。飼いならされていた金魚は自分が襲われることも自然の中では自分が餌であることも知らない。その金魚はあっという間にカエルに一飲にされたそうです」

    「豊かな現代社会において働く意味を考えることは難しいかもしれない。失礼を承知で言わせて貰えば、何不自由なく今の立場を得てきた君たちには分かりにくい話かもしれない。しかし言わせてくれ。自由に働くってどういうことだい?そもそも働くってどういう意味なんだろう?」

    「家畜になるんじゃねぇ!以上!!」

     すべての若い人たちが分かってくれたようではありませんでした。しかし何人かは私の言おうとしている言葉の意味を少しはわかったような顔をしていました。

     気をつけておかないと、若い世代だけではなくベテランも本当の働く意味を忘れて、働く場所がある感謝や食い物が手に入るありがたさを忘れ、今の境遇を嘆き、不満を漏らしているかもしれません。不自由を嘆く前に、もっと働きやすい環境を自ら作り出す努力をしているのか?何よりも自分を鍛え、自らの道を切り開く勇気を持っているのかどうか・・・。

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