とじき雑感

3年後と現在

     5月21日発行のメルマガ「南風通信」の再録です。かつては「10年ひと昔」などと言っていたのですが、最近では「ドッグイヤー」「マウスイヤー」です。あっという間に周りの風景が変わってしまいます。
    【5月21日発行 メルマガ 喃風通信より】
     こんにちは。戸敷進一です。
     もうしばらくすると6月です。つい先日「本年は・・・」などと言ったり書いたりしているうちに、半年が近づいて来ました。日誌やメモを眺め返しながら、何やら薄ら寒くなるほどに時の流れるのが早い。STAP細胞問題や佐村河内問題は昨年のことですし、jみんなの党の解党も御嶽山の噴火も昨年のことですが、何やら記憶の向こうにあってずいぶん遠い時期のような気がしてしまいます。今年に入ってからのISIS事件や川崎の少年事件なども、最近ではほとんど話題にされることもありません。日々押し寄せる膨大などうでもいい情報モドキの中でアップアップしているような気分になってしまいます。
     3年前のことです。ある地方自治体の職員の方からこんな話を聞きました。福岡県の北九州地区の工業団地に複数の自動車関連工場が進出することになり、その祝賀会があった時のこと。記念講演をした、日本総研の寺島実郎氏が
    「中京地区では、すでに自動車ではなく飛行機や宇宙ロケットへ向けての開j発が急ピッチで進んでいるというのに、九州ではまだ自動車ですか?」
    と発言したという話でした。参加者は祝賀ムードでいっぱいだったところに冷水を浴びせるような内容だった、と自治体の職員の方が言いました。実際に、三菱重工の中型ジェット「MRJ」が話題になっていた頃でしたし、日本の国産ロケットも現行の「H2型」から大幅にコストを減らした「H3型」へ切り替わるという話が出ていた頃でした。九州の片田舎の自治体で企業誘致の仕事をしている職員の方には随分と先走った話のように聞こえたようでした。
     日本の産業において、航空機製造業界は、戦勝国米国の意向により随分と制限を受けてきました。昭和27年まで日本を支配したGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は日本の非軍事化と米国産業を守るために飛行機の生産を事実上禁止していました。プロペラ機としてYS-11の実績はありますが、長くジェット機は開発されず70年近くが過ぎようとしています。しかしながら様々な制約がはずれ、低燃費などの市場要求の中でようやく新しい時代が巡って来ようとしています。
     先月、自動車メーカーのホンダが小型ジェット機のデモンストレーション飛行を国内で行いました。スマートな機体に赤い翼の姿をテレビで見た時、思わず前述の寺島実郎氏の言葉を思い出さいました。
    「九州では、まだ自動車ですか?」
     先週、神奈川県の葉山で仕事を終え、横浜の会計事務所の方に横浜駅まで車で送って頂いた時のことです同じ神奈川でもその辺りの地理にあまり詳しくないというその方は、乗り込むと同時に「ナビゲーションシステム」に向かって
    「神奈川県、横浜市、横浜駅」
    と告げました。その途端ナビが起動し、自動的に地図と音声の案内を始めました。私の乗っている車にもナビはあるのですが、旧式なもので、ボタンを操作して施設や住所・電話番号を入力するタイプのものです。それが一瞬で起動した時、最初は何が起こったのか分かりませんでした。つまり最新式のナビを私が知らなかったというだけの話ですが、車の助手席に座りながら、何やら「携帯端末」にエンジンを積み、タイヤを4本履かせたようなイメージを持っていまいました。すでにGoogleや各自動車メーカーが自動車の自動運転に関して猛烈な技術開発にしのぎを削っています。自動ブレーキ装置だけではなく、これからどんな車が出てくるのか、一瞬だけイメージしてしまいました。
     実は、3年後の製品やサービスの「種」は目の前に転がっているのではないでしょうか。自分たちが何気なく日常を送っていると気付かないのだけれど、本当は目の前でその変化が起こっているのではないか。だとすれば、よほど注意深く変化に注意を払っておかなければ時代に遅れかねない。
     すでに「ロートル」なので時代変化を見落としがちです。若い世代の常識が次の時代の常識であることは頭では分かっているけれども、実感とは程遠い。少々慌てる気持がないわけではありません。
     「3年後と現在」はつながっています。
    「九州では、まだ自動車ですか?」
    直接聞いたわけではない寺島実郎氏の言葉が、耳元に聞こえてきそうです。
     今週もお元気で。戸敷進一でした。

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