とじき雑感

気温−4度の夜 〜ある「経営計画」発表会〜

    宮崎県から大分県には、高速道路が通っていません。ともに九州の田舎なので、中央に見捨てられ「インフラ整備」は信じられないくらい遅れています。先日、四国から来られたある企業の会長が、「我々も田舎なので経営に苦労しているが、ここで企業経営をするのちょっと想像がつきませんな」と正直な感想を告げられました。

    昨夜、夜遅く、宮崎から大分を経由して福岡へ帰って来ました。
    宮崎にある外食企業の「経営計画発表会」と「新年会」に参加しました。
    外食系企業は、社会の成長と共に拡大し、社会の成熟と共に苦戦を始めました。地域密着から始まり拡大路線を取ったとしても、外部からの出店圧力や顧客のニーズの変化の中で競争が激化し、おまけにコンビニなどという従来とは違ったライバルの出現によって、戦い方も質的な変化を迫られてきました。長引く不景気の影と3.11以来の消費マインドの落ち込みが追い打ちをかけています。
    業界的には、現在東日本への出店よりも西日本への出店意欲が高く、九州各地で「過剰競争(オーバーストア)」が続いています。一昨年まで鹿児島には一店舗も「セブンイレブン」はなかったのですが、昨年20店舗、2014年までには200店舗を目指しています。沖縄では昨年末「ワタミ」が出店をして、本年度7店舗オープンの予定です。
    こうした状況を背景にした時、「組織」は高い危機意識を持たなければならず、同時に素早い対応を迫られます。

    100人近い前従業員を前にして、「社長」が、現状と今後の「計画」を話しました。それを受けて、顧問会計士のN先生が話をする。残った時間で、私とS部長がまとめるという流れでした。
    社長の話を聞いているうちに、「食品安全衛生」の話をしなくてはならない気がして、平成8年に岡山県で発生した「O157」についての話を加えました。発生件数179件、患者数14488人、死者8人を出したこの事件は、日本の産業に大きな影響を与え、【5S活動】の「清潔」という要求にもつながりました。また、現政府が社会実験として行った高速無料化の影響で、人な流れが変わりある店舗の売上が大きく落ち込んだ、という話を受けて、急遽、昭和47年の沖縄返還とその8年後に実施された「走行車線変更」にともなう小売業の困惑の話を付け加えました。米国の支配下にあった時代の沖縄では自動車の走行は「右車線」でした。その仕組が「左車線」に変わった途端、沿道の商店は従来と違う人の流れの中で随分と苦労したものでした。参加者の中には、沖縄が米国の支配下にあったことすら知らない世代が入っています。まして「走行車線変更」の話など、若い人達は知りません。だから、私が社長の言葉を受けて、丁寧にかつての事例と、今後の備えについて話す必要がありました。

    社長の「経営計画」の中には、「ベテランから若手への引継ぎ」という項目もありました。O157の話も沖縄の車線変更の話も、若い人達にとっては関係ない話なのかもしれません。しかしながら「年寄り(ベテラン)」の【役割】はあるのです。すでに年寄りである私にもまたそうした【役割】があるのだと思いました。短い時間でしたが、ベテランの多い組織ですので、そのことを強調したはなしとなりました。

    新年会では、すでに現場を離れられた会長の弟に当たられる「専務」が、マイクを握り、力強いお話をしてくれました。外食産業の調達部門を担当されている立場から昨年の「新燃岳噴火」一昨年の「口蹄疫」で傷ついた宮崎の生産者や農業の本当の姿や、3.11で被災した地域に比べれば「まだこの地域には、明日が見えてるじゃないか!」というお話でした。
    話のあと、私のところに来られ、「ベテランの役割の話が効きました。もう年寄りだから、若手に任せればいいかと思っていましたが、そうじゃないんですな。心底、時間が欲しい、心底若手に伝えなければならないことがあるんだということが分かりましたよ」と何度も私の手を握られた。

    宮崎と大分の県境の峠で、「気温表示」の電光掲示板が【−4度】になっていました。九州では珍しほどの低温です。【路面凍結注意!】という文字が激しく点滅していました。すでに深夜なので車は少ない。車の窓をあけると「痛いような冷気」が頬を打つ。当然、眠気は一発で吹き飛ぶ。
    −4度の中で、「経営計画」の有り様と、戦う組織の有り様について考えました。
    博多に付いたのは、深夜0時過ぎ。車を駐車場に入れ終わった時に、携帯電話がなる。
    「もう福岡に着きましたか?」
    主催された社長からの電話でした。
    「いやぁ、経営計画を発表して、良かった!」

    自分の体を通った「魂の篭った言葉」だから、社員に届いたのでしょう。すでに傍観者的立ち位置にいた専務の心を動かしたのでしょう。仕組みづくりはまだまだこれからだとしても、十分に「戦える組織」に仕上がっています。
    4時間ぶっ通しで車を運転しても疲れを感じなかったのは、私にも、その組織が持っているエネルギーが届いていたからでしょう。

    さぁて、勝負はこれからです。

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