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今年の5月11日発行のメルマガ「南風通信」の再録です。
地方格差が叫ばれて久しいのですが、それはこれだけ情報インフラが整った現在でも一向に変わっていません。地方の人は都会の出来事をよく知っていますが、都会の人は地方のことなどまったく知りません。おそらく興味もありません。そのことを知っておかないと・・・。

 

【5月11日発行 メルマガ南風通信より】

こんにちは。戸敷進一です。連休はいかがお過ごしでしたでしょうか。
毎年ゴールデンウィークの喧騒がニュースを賑わしますが、世間が一斉に休みに入り、観光地や商業施設に多くの人たちが繰り出す時、その場所や施設で働く方々は当然のことながら休みではありません。コンサル先のサービス業の企業は掻き入れ時で、ぎりぎりの人手でやりくりをします。実際にそうした「現場の修羅場」を見ているので、その凄まじさがよく分かります。
自分を中心に考えると、ゴールデンウィークは「久々にゆっくりできる時間」ですが、その時に別の場所では「修羅場」が起きています。いつも、4月5月の連休時期にはそうした業種別の落差を確認します。物事は多面的に見ておかなければ何かを見失ってしまうのです。

個人的にここ数か月「ラジオ」ばかりを聞いています。
こう書くと「ジジィくさい!」と言われそうですが、朝から晩まで部屋にいる時はラジオが鳴っています。実は音響マニアの気があって、少々音にうるさいのです。久々に買った「BOSE」のスピーカーの音があまりにも素晴らしくてハマってしまいました。JAZZやFusionの曲を聞く時に、やっと満足のいく道具を手に入れた感じです。おまけに最近のスピーカーはBluetooth接続ができるのでコードレスです。携帯端末やパソコンから簡単に音が送れてしまいます。この手軽さと音的な精度の高さに魅せられてほとんどテレビを見ることがなくなりました。
同時に、コンピュータソフトとネット環境の充実から、ラジオ放送をほとんどノイズの影響を受けずに聞けるようになりました。NHKの「らじるらじる」や全国の民放のAMやFMが聞ける「radiko」などをこのスピーカーで聞くと今まで自分が認識していたラジオ放送とは別物です。

ラジオ放送の面白みは、他のメディアに比べて自由度が高いというところにあります。テレビの映像制限や新聞雑誌の文字制限とは無縁ですから、言葉や音楽や音を自由に使って創造的な情報を提供してくれます。経済情報も政治情報も各地の風土や歴史までも受け手の想像力を刺激します。おまけに、昨今のラジオはネットと密接に結びついていて、書籍や詩人の名称や料理のレシピまでネットで確認することが出来るのです。ラジオを聞きながら、日に何度も人名や地名をタブレットで確認したり、手帳にメモしたりします。この歳になって新たな「知的冒険」が始まってしまいました。今までまったく知らなかった人物の書籍や曲や地名や時代を追いかけている自分に気付いて少々驚くこともあります。

そうした「ジジィくさい趣味」で気付いたことがあります。
NHKの「らじるらじる」はネットで聞けるラジオ放送ですが、ソフトの性質上限られたエリアの放送しか聞くことが出来ません。NHKであれば、仙台・東京・名古屋・大阪の四つのエリアです。福岡がないので東京エリアの番組を聞くのですが、これを聞いて改めて驚いた。朝から晩まで首都関東圏と甲信越の情報しか流れない。電波は距離制限を受けるので当たり前のことですが、天気も交通情報も全国向けのニュース以外はニュースですらローカルなのです。つまり他の情報は一切流れない。特に九州情報は午後7時半からの「列島リレーニュース」とリスナーからの便り以外では九州のことはほとんど触れられることはありません。例えば桜島や阿蘇山の噴火情報など九州では結構大きく報道されていることも東京のニュースではまず流れない。全体の印象として、四国・中国・九州の情報は一日の中の1%くらいしか東京エリアでは流れないのではないかと思います。
普段地方で生活していると、自分の身の回りのことに目を奪われるので、自分たちが知っていることは他の地域の人も知っているのではないかという錯覚を覚えますが、実は他の地域の人はまったく情報としてそうしたものを手にしていないのです。

【地産外消】という言葉があります。人口が減少していく中かで「地産地消」ではもう経営が追いつかないのではないか。そのためにはいかに「他の地域の人達に消費してもらうか」ということが大切だという考え方です。そのためには情報発信が大切だ、という話がくっついています。国が進める「地方創生」の大方針の中にもそうした考え方が含まれています。しかしながら外の地域に自分たちの情報がきちんと伝わっているかどうかは再確認したほうがいいのかもしれません。自分たちが思っているほど他の地域の人達は興味を持っていない可能性はかなり高い。「らじるらじる」で言えば、福岡人が博多を自慢しながら東京エリアではほとんど触れられることがないという現実をきちんと知る必要があります。

自分の周りの感覚や常識と現実の落差は小さくなさそうです。個人や組織として「情報発信」をしているつもりでも実はまったく届いていなかったなどということは多くありそうです。情報化時代と叫ばれてすでに10年以上が過ぎました。情報機器の発達はとどまることを知らず腕時計にまで情報が埋め込まれるようになりました。しかし、中身と現実のギャップはますます大きくなってきているのかもしれません。

今週もお元気で。戸敷進一でした。