昨年の夏に書いた文章です。
このとき怒鳴りつけていた息子はなんとか就職し、現在研修中のようです。

 

 

th_-絵-壁紙-1920-1200-画像-壁紙-都市の風景-無料-の写真-Ni729966 こんにちは。戸敷進一です。連日の猛暑も過ぎ去り、朝夕は随分と過ごしやすくなりました。
毎日、テレビのローカルニュースでは天気予報だけではなく「電気予報」をやっていましたが、90%を越えたのは九州地区では数日だったのではないでしょうか。原発が止まると電気が足りない!と電力会社とマスコミは大騒ぎをしていたのですが、しのいでみれば肩透かしで「ありゃりゃ?」という感じです。もっとも、すでに北海道の方では、「原発が稼働しなかったら」冬場に電気が足りなくなる、という発表をしたようです。猛暑の中、通常に生活を送り、その上日本国中がオリンピックで電気を大量に消費しても大丈夫だったのですが、次の「電力不足」の脅し文句はいつ頃、どんな理由で始まるのでしょうか。不思議な2012年の夏が終わります。大学4年制になる息子と話をするときは、かなり断定的な物言いをしてしまいます。仕事の時、クライアント先の若い社員の人と話すように「優しく」声をかけてやればいいのですが、自分の息子となると、身の近さが仇となり、過激な発言のオンパレードです。

「あのなぁ、お父さんが20前後だった頃の田舎を【想像】しろ。当時、田舎で情報を得るということ、勉強するということは今とは随分違う。情報源は、新聞かテレビ、それに小さな書店くらいしかなかったんだ。図書館はあるにはあったが、今の時代ほど使い勝手のいいものではなかったし、何しろどこに図書館があるのかさえも、調べようがない時代だ。インナーネットがないのだから、市役所や役場に電話をして図書館の場所を尋ねる、ということをしていたんだが。想像がつくかな?」
「古本屋なんてそうそうあるものではなかった。今みたいにブックなんとかという古本の全国チェーン店もなかったんだ。せいぜいどこかの大学の近くに細々とあるくらいで、なおかつその古本屋に欲しい本があるかどうかもわからない。とにかくこまめに顔を出し、本棚をチェックしておかなければ欲しい本は手に入らなかったなぁ」
「情報は、なかなか手に入らななかったよ。テレビ、新聞、書店しかないのだから、新しい技術情報なんて目を皿のようにして、耳をいつもダンボのように大きくしておかなければ、気づかない、見落とす。そんな時、とても重要だったのが人とのつながりだったよ。先輩や専門家の話の中に、多くのヒントや進むべき方向に関する特別な情報が含まれていたから、人間関係も大切なものだった」
「昭和50年代から60年代の初めのころまで、情報は探すものだったよ。それも多くの場合、地道なプロセスを伴うものだった。その情報が正しいものであるのかどうかも含めて、自分で選択と判断を繰り返して、自分のものにしていったような気がするね」

「ところがWin95というパソコンができて、なおかつ急速にNet環境が整って以来、情報は選ぶものになってしまったような気がするよ。検索機能というものが世界的に普及してしまったものだから、とにかく選べる。膨大な他人の評価やその本のあり場所や、値段までもが一瞬にして分かる。おまけにコストは必要になるが、配送までネットに依存できるようになった。そして、情報に関する取得プロセスや分析プロセス、アウトプットプロセスが曖昧になった」
「その結果、安っぽいはハウツー本や手軽な簡略本が大流行。新聞も読まない、テレビも見ずに、ネットに書かれていることからすべてを判断しようとするので、ハイテンションやネガティブまで自ら考えてそうなることは少ない。どちらかと言えば、誰かや雰囲気に踊らされたような部分が少なくない」
「何もないところから、探して探して手にした情報と、たくさんの類似情報から選んで手にした情報は意味が違う。何が違うかといえば、幅や厚みだけではなく、体の中への食い込み自体がまったく違う。ネットを馬鹿にする気は全くないが、そうしたプロセスの違いは十分に納得しておけ!」
「じゃないと、書く文章がコピー、コピーの継ぎ接ぎだらけって少なくないんだ。特に若い連中に・・・」

笑われても、馬鹿にされても、若い人達にきちんと伝えておかなければならないことがあります。最近では、新聞記者までが取材に行かず、ネットに転がっている文章で記事を作ったり、ひどいのになると、他社の新聞記事を丸写しした記事まであったそうです。
「灯火親しむべし」とは、中国の漢詩の一節です。秋の気配が深まる中で、自分にとっての情報を一度考えてみてください。

今週もお元気で。戸敷進一でした。